8.
家へ帰ると母さんが待ちくたびれていた。母さんはいつも僕が帰るまで夕食を取らずに待っていてくれたんだ。
父さんは相変わらず帰りが遅い。僕はできるだけ夕食は家で食べるようにしていた。
1人の食事がどんなに淋しいかという事を嫌というほど分かっていたからだ。
今まで散々心配かけた母さんには淋しい思いをさせたくない。
「省吾、遅くなるなら電話してって言ってるでしょう? 母さんお腹ペコペコよ」
「ごめん。ちょっと友達と会ってたんだ」
「座って。今日はシチューよ」
僕はおとなしく夕食の席へついた。本当はお腹がいっぱいだったけれど、食事を済ませてきた事は黙っていた。
母さんはいつものように手際よくおかずを並べ、僕と向き合って座り、いつもと同じ事を言った。
「大学はどう?」
「うん。楽しいよ」
「何かいい事でもあった?」
「まぁね」
僕もいつもと同じように答えた。
母さんは僕が高校を卒業するまで函館の実家でずっと一緒にいてくれた。
そして僕が大学へ通うために札幌へ戻る事を決めた時、一緒にこの家へ帰って来た。
今までずっと母さんに聞けなかった事がある。僕は今日こそ母さんにその疑問をぶつけてみたいと思った。
なんとなく今夜はそういう気分だったんだ。
「ねぇ母さん、母さんはこの家へ戻りたいと思ってたの?」
質問があまりにも突然すぎたようで母さんはちょっと変な顔をしていた。
「急にそんな事言うなんて、どうしたの?」
「だって、ずっと父さんと別居してただろ? 本当は離婚するつもりだったのかと思って」
母さんは冷蔵庫からビールを取り出し、それをおいしそうに飲んだ。母さんにとっては飲まなきゃ話せないような事だったのかもしれない。
「そうね。そういう時もあったわね。でも、本当は父さんの所へ戻りたいってずっと思ってた。だけど意地になって帰るきっかけを失ってたのよ」
「本当? 僕のために我慢して帰ってきたんじゃなくて?」
「省吾には感謝してるわ。父さんと5年間離れて暮らしてお互い考える時間ができたし、帰るきっかけも作ってくれたしね」
「だったらいいけど、ずっと気になってたんだ」
「でもねぇ、省吾が学校へ行ってないって知った時は正直ショックだったわ。母さんあんたをおいて家出したくせに、父さんを責めた。1番近くにいるのに何してるのかと思って」
「僕が子供だったんだ。父さんは忙しかったんだよ」
「そうね」
「ねぇ、そもそも最初はどうして家出したの?」
「つまんない事よ。あんたも飲みなさい」
母さんはそう言って僕にも缶ビールをくれた。
1人悩んだあの頃はこんなふうに母さんと2人で酒を飲むなんてとても考えられなかった。
でも、あの頃があって今がある。
あの頃の自分がいて今の自分がいる。
僕はその時、圭の事を母さんに話してみたくなった。
それはきっと母さんが正直に胸の内を聞かせてくれたからだと思う。
「母さん、今度友達を連れて来てもいい?」
「誰? ガールフレンド?」
「そんなのいないよ」
「なぁんだ。そんなふうに改まって言うなんて、女の子かと思うじゃないの」
母さんはほっとしたようながっかりしたような複雑な顔をした。
「僕の親友を母さんに紹介したいんだ」
「そう。いいわよ。いつでも連れてらっしゃい。大学の友達?」
「いや。中学の時の友達」
「え?」
母さんが不安げな顔をした。こっちの中学で起こった事は母さんも全部知っている。
「圭だよ。山岡圭。今日偶然彼と会ったんだ」
「山岡くんって、まさか……」
「誤解しないで母さん。圭はいい奴だよ。確かに事件を起こした事はあったけど、それは僕が……」
「母さん山岡くんに会いたいわ。ねぇ、いつ連れて来てくれるの?」
僕は母さんの反応に驚いた。そんなふうに言ってくれるとは意外だった。
「圭に会ってくれる? 本当に?」
「当たり前じゃない。あんたの親友でしょう?」
「うん」
「あんたに意地悪した子をやっつけてくれた人でしょう?」
「そうだよ」
「山岡くんのした事を聞いた時、父さんと大喧嘩したの。どうして父さんがその子をやっつけに行ってくれないのかと思って。母さんがいたら絶対そうしてたのに」
「母さん、過激だな」
「誓って言うわ。あの時母さんがいたらあんたをいじめた奴を殺してた」
「まさか」
「あんたは母さんのたった1人の息子よ。父さんとは他人だけど、省吾とは血がつながってるの。母さんはあんたを傷つけた奴を許せないわ」
「父さんを他人だなんて、かわいそうだよ」
母さんは熱くなった事を反省したようだった。
だけど僕は満たされていた。
あの頃自分は1人ぼっちで味方が誰もいないなんて思っていたのに、それは自分に余裕がなくて周りを見ていなかっただけだとよく分かった。
母さんも圭も僕の味方だ。それに父さんだって、不器用なだけで本当はきっと人一倍僕の事を心配してくれていたに違いない。今ならそれがよく分かる。
「山岡くんは今どうしてるの?」
母さんは2本目のビールを飲みながらそう言った。
「ホストクラブで働いてる」
「ホストクラブ?」
「うん。圭は女にもてそうだから」
「山岡くんって、かっこいいの?」
「うん。かっこいいよ」
「じゃあ今度そのお店に連れて行ってよ」
「ええ? だって、ホストクラブだよ」
「いいじゃない。父さんだって適当に遊んでるんだから」
「だけど、ホストクラブなんてきっと高いし……」
「平気。ヘソクリしてるから。ね、いいでしょう? 母さん省吾と飲みたいし、山岡くんとも話したいわ」
僕は笑うしかなかった。母さんも笑っていた。
そうだ、圭は女を紹介しろと言っていたし (母さんだって一応女だし)
今度母さんを連れて圭の店へ行ってみよう。きっと母さんは圭のよさを分かってくれる。
圭、どうもありがとう。
幸せはいつも君が運んできてくれたね。
僕はこれからもずっと君の親友でいたい。そして共犯者でいたい。