8.
もうすぐ夏休みが終わる。そろそろ弟を家へ帰さなければならない。
俺はだんだん終焉が近づいてきた事を感じていた。
弟を助手席に乗せ、アパートへ向かって車を走らせる。
俺はなんだか死に向かって突き進んでいるような気がしていた。視界に入ってくるものは夜の闇だけだ。
ところがしばらく走っていくとコンビニの明るい光が目に飛び込んできた。
その瞬間、大事な事を思い出した。
天国へのパスポートともいうべき2枚のフロッピー。あれを入れる封筒をまだ用意していなかった。
ふと助手席に目をやると弟はいつの間にかシートを倒して眠っていた。
俺はコンビニの前へ車を止め、弟を起こさないようにそっと車を離れた。
店内へ入るとその明るさに目がくらんだ。
もう今の俺には明るい光が似合わない。
ついさっきまで太陽の下で笑っていたのに、もうそんな事は遠い記憶の彼方へ消え去ってしまっていた。
買い物用の青いカゴを手に持ち、その中へビールやジュースを次々と投げ入れていく。
ずっと購読していた週刊誌もカゴへ入れる。連載されているマンガの続きが気になっていたんだ。
そして最後に文房具の並んだ棚へと近づいた。
コンビニの文房具売り場はほんのわずかなスペースしかなかった。
それでも一応最小限の物は揃えられている。
ボールペン、シャープペンシル、蛍光ペン、消しゴム、ノート、履歴書、便箋。
あった。封筒だ。
俺は棚の中段に置かれていた封筒を手に取った。
それは真っ白で、横幅が広いタイプの物だった。フロッピーディスクが入る大きさだ。枚数を数えてみると10枚入りだった。
俺はそれをカゴの中へ入れ、しっかりとした足どりでレジへと向かった。
これで完璧だ。準備は整った。
そう思った瞬間、自分の目に映るすべての物が愛しく感じられた。
明るく元気に客へ挨拶をしてレジを打っている女の子。
すぐそこでグツグツと煮込まれているおでん。
棚にきっちりと並べられているおにぎりや弁当。
どのジュースを買おうかと迷っている少年。
半額に値下げして売られている花火。
きっと君たちは俺が今日この時間ここにいた事なんかすぐに忘れてしまうだろう。
でも、俺はたしかにここに存在していたんだ。
その事は俺だけが分かっていればいい。
もしも生まれ変わったら、また君たちに巡り会う事ができるだろうか。
バカだな……
俺は大きな罪を犯した男だ。
そんな俺がもう一度この世に生を受ける事なんか、絶対にありえない。
アパートへ着いた。
車を静かに止めてエンジンを切る。弟はまだ熟睡している。
起こすのはちょっとかわいそうだ。俺もしばらく車の中で休憩する事にしよう。
シートを倒して弟の寝顔を眺める。
弟は幸せそうな顔で眠っていた。そして俺は昔の事を思い出していた。
弟が生まれた時はすごく嬉しかったな。
俺は長男で、最初は1人っ子だった。弟が生まれるまでは兄弟のいる友達が羨ましくてたまらなかった。
あの頃は兄弟喧嘩をするのが夢だった。
子供の頃仲が良かった友達は、数分前まで兄貴と大喧嘩していても最後には必ずちゃんと兄弟仲良く家へ帰って行った。
それがすごく不思議でたまらなかった。
だって、友達同士だとそうはいかない。
俺は気の強いガキで、遊んでいる最中に友達と大喧嘩して、絶交して、そのままもうその子と遊ばなくなってしまったという事が何度もあった。
弟が生まれてからしばらくは、ベビーベッドで眠る弟を何時間もただじっと眺めていた記憶がある。
人形のように小さな指に触れてみたり、鼻をつまんだり、そんな事をしながらただずっとずっと弟を眺めていた。
あの時の、窓から差し込む太陽の光。涼しいそよ風。
思い出すととても穏やかな日々だった。
でも弘行とは年が離れすぎていた。
こいつが自分の足で動き回れるようになった頃、もう俺は友達の方が大事だという年齢に達していた。
公園で友達と遊んでいる時にこいつが追いかけてくると、うっとうしくてたまらなかった。
中学、高校の頃はろくに口をきいた覚えもない。
口うるさい母さんと戦う事で精一杯だったんだ。
万引きで捕まって、母さんに泣かれて、その後自分の部屋へ閉じこもっていた時、何が起こったか分からない幼い弟が俺の部屋のドアをノックした。
でも俺はこいつを口汚く罵り、絶対にドアを開けてやらなかった。
あの時、こいつはどんな気持ちでいたんだろう。
弟が目を開けた。
寝ぼけているようだ。ここがどこだか分からないらしい。
「お兄ちゃん、今どこ?」
「もう着いたぞ」
「本当?」
弟は起き上がって辺りを見回した。
月明かりの下に浮かび上がるアパートを見つけてほっとしたようだ。
「行くぞ。ふとんに入って寝ろよ」
「うん」
弟は両手を伸ばして大欠伸した。まだ目が半分しか開かないようだ。
もう少し小さければおんぶって行ってやる所だけど、こいつはもう大きくなりすぎた。
部屋へ入り、急いでふとんを敷いてやる。
弟はおやすみも言わずにふとんへ倒れ込んだ。俺も同じようにベッドへ倒れ込む。
電気を消すと、すぐに弟の寝息が聞こえてきた。