共犯者
 2.

 懐かしい。家へ帰ってくるのは約5年ぶりだ。
僕の部屋は5年前と何一つ変わっていなかった。
父さんがちゃんと定期的に掃除をしてくれていたようで、5年間も使っていないとは思えないほど綺麗で埃一つない。
好きだった漫画の本も昔と同じように本棚に並べられていた。柱の傷もそのまま残っていた。
学習机の引き出しを開けるとそこにはいろんな物が入っていた。
ウルトラマン消しゴム。そうだ、中学の頃集めていたんだっけ。
参観日のお知らせ。ああ、学校で配られたプリントだ。
これ、父さんには見せられなかったんだ。今思い出した。
プリントの下には1枚の写真があった。僕はそれをじっと眺めた。
中学1年の遠足の時の写真だった。
写真の中の僕は楽しそうに笑っていた。
仲の良かった友達と共にカメラに向かってピースしている。
あはっ。学校指定のジャージが今見るとすごくダサい。
この頃は良かった。僕はこんなふうに悩みのない顔で笑っていたんだ。
その時、ある事に気づいた。
僕がピースしている遥か後ろに小さく写っていたのは圭の姿だった。
圭……圭だ。
彼はもちろんカメラの方なんか見ていない。背景に混じっているだけのほんの小さな横顔だ。

 僕は突然思い立ち、本棚と壁のわずかな隙間に手を滑らせた。
すると、何かが手に触れた。
ゆっくりと引き出してみる。それは埃にまみれた1本のビデオだった。
右手で埃を払う。思わず笑顔になる。
これ、父さんに見つからずにずっとここにあったんだな。
「省吾、ご飯よ! 下りてらっしゃい」
下から母さんの呼ぶ声がした。
僕はビデオを引き出しの中へしまい、階段を下りた。

 リビングのドアを開けて中へ入ると食卓テーブルにスキヤキが用意されていた。
父さんはもうテーブルについていた。
「ほら省吾、あんたも早く座りなさい」
「うん」
母さんはキッチンの中をせわしく動き回っていた。
5年ぶりに親子3人同じテーブルにつき、一つの鍋をつつく。
久しぶりでなんだか変な感じだ。

 僕は大学へ通うために札幌へ帰って来た。
何もかもが懐かしい。
近所のラーメン屋、本屋、コンビニ。すべてが昔のままだ。
もうここへ戻ってくる事は二度とない。昔はそんなふうに思っていたのに、すべては時が解決してくれた。
19歳の僕は少しだけ大人になり、少しだけ強くなっていた。
大学ではすぐに友達もできた。
僕は仲良くしてくれる友達に心から感謝していた。彼らに何かあった時は力になりたいと強く思う。
だけど、実際に問題が起きた時はどうだろうか。
思っているだけで何もできないんじゃないだろうか。
僕は皆と一緒に笑っている時でも漠然とそんな事を考えていた。

 ある夜僕は大学の友達と夜の街へ出かけた。男ばかり6人だった。
僕らは未成年だというのに居酒屋で酒を飲みまくり、皆かなりテンションが高くなっていた。
その日は金曜日だったせいか街には人が溢れていた。
すれ違うたびに人とぶつかる、といった感じだ。
そのうち誰かが酔った勢いで3人組の女の子をナンパしてきた。3人とも結構かわいかった。
僕らは彼女たちと連れ立ってカラオケボックスへ行く事にした。
ところがその日はどこの店も満室だった。
空室のあるカラオケボックスを探し求めて4件目。これがラストチャンスだと皆そう思っていた。
女の子たちが歩き疲れて不平を口にし始めていたからだ。
「ねぇ、ここは大丈夫なの?」
「もう疲れちゃった」
皆が女の子をなだめている間に僕は受付のカウンターへ行き、空いてるボックスがあるかと尋ねてみた。
「9人なんだけど、すぐ入れますか?」
やばい感じだった。カウンターの女の子が渋い顔をしたんだ。
「今からですと2時間待ちになりますけど」
「2時間?」
ダメだ。ついてない。
そう思って諦めかけた時、突然後ろからポンポンと肩をたたかれた。
振り返るとなんとなく見覚えのあるような顔がそこにあった。
「もしかして省吾じゃないか?」
そう言った彼はカラオケボックスの店員らしく、紺色の制服を身につけていた。
胸の名札を見てあっ、と思った。
「正浩か?」
「そうだよ! 久しぶりだな」
そこにいたのは中学の時の同級生、正浩だった。
彼は昔とあまり変わっていなかった。がっしりした体つき。少し高音な声。小さな目。
僕らは彼の計らいでVIPルームへと即案内された。
僕は仲間たちからでかした! と褒められ、ちょっと照れた。
それからは歌いまくって大いに盛り上がった。

 それから1時間ほどたった時、僕はそっとボックスを抜け出して正浩にお礼を言いに行った。
彼はカウンターでレジのお金を数えていた。
「正浩、ありがとな。おかげで助かったよ」
僕が行くと彼はあと5分で休憩になるから少し待っててくれと言った。
それから少し待つと正浩が休憩室へ僕を案内してくれた。

 そこは白いテーブルと3つの椅子がぎゅうぎゅう詰めに並べられているとても狭い部屋だった。
彼は僕のためにコーヒーを入れてくれた。
「省吾、久しぶりだな。最初は分からなかったよ」
「僕もだよ。でも、正浩は変わってないな」
「省吾は変わったな。随分背が伸びたんじゃないか?」
「高校の時、20センチ伸びたんだ」
「そうか」
「うん。自分でも信じられないけどね」
彼はうなづきながら一瞬下を向いて、それから少し遠慮がちに僕に問い掛けた。
「高校はどこ行ってた?」
「函館の高校だよ」
「そうなのか」
「うん。母さんの実家が函館で、そこから通ってた」
「元気そうで安心したよ」
「僕はいつだって元気だよ」
彼は伏し目がちにこう言った。
「省吾、ごめんな」
そのごめんな、がどういう意味かは言われなくてもなんとなく理解できた。
だけど僕はもう昔の僕ではない。そんな事は笑い飛ばせるぐらい大人になっていた。
僕はちょっと笑ってコーヒーを飲み干した。
「正浩は元気だった? ここはバイト?」
「ああ。今、専門学校へ通ってるんだ」
「そうか」
彼は元気な僕を見てほっとしたようだった。
嬉しかった。彼は彼なりに僕の事を少しは気にかけていてくれたんだ。
そしてその後彼は感情のない声でこう言った。
「圭が札幌に帰ってきてる。俺、何度か見かけたんだ」
急に心臓がドキドキしてきた。
まさかこんな所で圭の話が出るなんて、夢にも思わなかった。
僕は聞かずにはいられなかった。
「圭は札幌にいなかったの?」
「お前、あの後の事何も知らないのか?」
「どんな事?」
正浩は眉間にしわを寄せた。
「あいつが事件を起こした後、圭の家はすぐ引っ越したよ。どこへ行ったのかは知らないけど、恐らく遠い所だろう。札幌にいられなかったんだろうな」
「本当に!?」
「滝沢もケガが治った後学校へ出てきたけど、もう誰もあいつを相手にする奴はいなかったよ。 あいつはクラスの連中に無視され続けてそのうち転校した。皆ほっとしてた。あいつのした事には皆頭にきてたんだ。 あいつ、野球部の後輩にも暴力を振るってたらしいぜ。圭は引っ越しちゃったけど、生徒たちの間じゃ英雄扱いされてたよ。ま、ちょっとした伝説の男って感じだったな」
「全然知らなかった……」
「省吾、本当にごめん。俺はお前を助けられなかった」
そんな事は全然知らなかった。
僕はあの時現実から逃げてしまった。まさかそんな事になっているなんて思いもしなかった。
「正浩、圭はどこにいる?」
彼は首を振った。
「分からない。俺も声がかけられなかったんだ」

 僕は圭の事を思った。あれから彼はどうしていたんだろう。
彼が以前いた場所に住んでいない事だけは知っていた。
一度だけ彼の家の前を通りかかったけれど、そこにはもう別の家族が住んでいたんだ。

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