共犯者
 3.

 中学2年になる時、クラス替えが行われた。
僕は正浩と同じクラスになった。
彼とは1年の時から同じクラスで仲が良かったから心強かった。
でも、圭とは別のクラスになった。
ただし僕と彼とはとても友達と呼べる間柄ではなかったから、クラスが別々になってもなんとも思わなかった。
僕のクラスは2年6組。その6組に、滝沢誠がいた。

 今でもどうしてなのか分からない。僕は滝沢からイジメの的にされた。
すごく戸惑った。幼稚園から中学校までイジメを受けた事なんか一度もなかったからだ。
自分はどこへ行っても誰とでもうまくやっていける人間だと思っていた。
なのに、そんな自信はいとも簡単に失われた。

 思い出すのもつらい。
最初のうちはまだ耐えられる程度のイジメだった。
教科書に落書きされたり、靴を隠されたり。
だけど、しだいにイジメはエスカレートしていった。僕は滝沢から連日のように暴行を受けるようになっていった。
とても苦痛だった。
滝沢は野球部に所属していて腕っぷしが強く、彼のパンチはかなり堪えた。
滝沢の存在が僕のすべてを打ちのめした事は言うまでもない。
しかし、それよりもつらかったのは同じクラスの皆が見て見ぬフリをする事だった。
滝沢には3人の取巻きがいた。
その3人は滝沢のやりたい放題をすぐ近くで見ていたくせに、やめさせようなんてした事は全くなかった。
僕は教室の片隅でいつも滝沢に殴られたり蹴られたりしていた。その間ずっとずっと心の中で叫んでいたんだ。
助けて。誰か助けて。
だけど、誰1人助けてくれる事はなかった。ただの一度もなかった。

 僕は皆を恨んだ。皆いつか殺してやる。そんな事さえ考えた。
心身ともに疲れ切っていた。家でも学校でもただ憂鬱だった。
その頃両親はひどく不仲で、母さんが家を出て行ったばかりだったんだ。
心も体もボロボロになって家へ帰っても迎えてくれる人は誰もいなかった。
父さんは仕事が忙しくていつも帰りが遅い。朝は僕より早く出かけてしまうし、夜は僕が寝るまで帰って来ない。
あの頃は何度も自殺する事を考えた。いつも死ぬ事ばかりを考えていた。

 決定的な事が起こったのは、確か6月頃だったと思う。限界は近かった。もう2ヶ月も連日のイジメに耐えていたんだから。

 ない。どこにもない。
僕は何度もかばんの中を探した。だけど、どこにもない。
朝父さんから給食費をもらって確かにかばんの中へ入れたはずなのに。
僕は昼休みの間もずっとお金を探し続けていた。
かばんの中。制服のポケット。机の中。
ところがしばらくしておかしな事に気づいた。
いつも休み時間になるとすぐに僕の所へやってきて殴ったり蹴ったりするはずの滝沢がその時だけは近づいて来なかったんだ。
近づくどころか、遠い所から彼の視線を感じた。
顔を上げると滝沢と目が合った。彼は意味深にニヤリと笑った。
僕は周りの皆に目をやった。皆僕から目を逸らした。
もう限界だ。こいつら、皆同罪だ。

 泣けるっていう事はまだ心に余裕があるからだと昔どこかで聞いた事がある。それは本当だと思った。
僕は学校でも、家へ帰ってからも涙ひとつ出なかった。
でも、その時は少しだけほっとしていた。
給食費をもう一度父さんにもらわなければならない。という事は、イジメの実態を打ち明けるきっかけができたという事だ。
今までのような暴力だけなら耐える事ができたのかもしれない。
だけど、お金の問題はそれとは全然別ものだ。
だって、これは窃盗だ。立派な犯罪だ。

 僕はその夜、父さんが帰るまでいつまででも待つつもりだった。
夕食にカップラーメンを食べて、ナイターを見る。
それから適当にチャンネルを変えながらたいして見たくもないテレビをずっと見続けた。
なかなか時間がたたない。
車の音がするたびにベランダから外を覗いて見たけど、いずれも父さんではなかった。
あまりにも退屈した僕はその後家事を始めた。
母さんが出て行ってからというもの、家の中は惨憺たる有り様だった。
洗濯物はたまりっぱなし。キッチンには洗い物が溢れている。部屋中埃だらけでゴミもその辺に置き去りにされたままだ。
いったい何から手をつけようか。

 洗濯、茶碗洗い、掃除、すべてを済ませても父さんはまだ帰って来なかった。
時計の針は夜中の1時をさしていた。
僕はとうとう待ちきれずにソファに横になって眠ってしまった。

 目が覚めた時にはもう朝だった。
ソファで寝たせいか体中が痛い。
毛布がかけられている事に気づく。父さんはあの後帰って来たんだ。

 6時になると父さんが起きてきた。僕は今しかないと思い、父さんに打ち明けた。
「父さん聞いて。僕、給食費を盗まれたんだ」
あの朝の事は1番忘れたい思い出の一つだ。なのに、そういう事に限って鮮明に覚えている。
あの時の父さんの動き一つ一つがすべて僕の脳裏に刻み込まれている。
父さんは僕の声がまるで聞こえないかのように玄関へ行き、朝刊を取ってきた。
そしてお気に入りの椅子に座り、リモコンを手に取ってテレビをつけた。
しかし父さんはテレビは見ずに新聞に目を落とした。そしてスポーツ欄を広げるとため息まじりにこう言った。
「なんだ、巨人はまた負けたのか。これで3連敗だな」
その間父さんは一度も僕を見る事がなかった。
僕の心が悲鳴を上げているのに、全く気づくそぶりすら感じられなかった。
それでも僕には父さんしかいないと思った。もう友達なんかとっくに信じられなくなっていたんだ。
僕は決して振り向かない父さんの背中に向かって語りかけた。必死だった。
「父さん、聞いてる? 僕、給食費を……」
そう言いかけた時、僕の声はさえぎられた。
「お前はその子が盗むのを見たのか?」
何も言えなくなった。だって、確かに見たわけではなかったから。
「ちゃんとよく探したのか?」
「探したよ」
「そんな事言って、本当は全部使い込んだんじゃないだろうな?」
父さんが遠く感じた。
それから父さんはもう言葉を発する事さえしなかった。
それは僕も同じだった。

 僕は2階の自分の部屋へ戻り、途方に暮れていた。
もうダメだ。もうおしまいだ。僕には味方なんて1人もいない。
給食費も払えないし、これ以上暴力を受け続けたら本当に死んでしまうかもしれない。
僕はカーテンを引き、ベッドに横たわって目を閉じた。
父さんが出かけて行くドアの音と、車のエンジンの音がかすかに聞こえた。
ああ、なんて素敵なんだろう。どうして今まで思いつかなかったんだろう。
学校へ行く事をやめたらこんなにも気持ちが楽になるのに。
今までいったいなんのためにイジメに耐えてきたのかまるで分からない。
そんな事したってつらくなるだけだ。だから、もういい。
ああ、すごく気持ちいい。ベッドに吸い込まれそうだ。

 腹が減って目が覚めた時はもうお昼の12時を回っていた。
欠伸をしながら1階へ下りていくと食卓テーブルの上にお金が置いてあった。
給食費と、今日の夕食代だ。
僕は顔を洗い、その辺にあった洋服を着て近所のコンビニへ出かけた。
弁当とジュースとお菓子を買って家へ戻り、お昼のテレビ番組を見ながら1人きりで昼メシを食べる。
その後はずっとゲームに興じて過ごした。
無断で学校を休んでいるというのに学校からは電話も入らなかった。
僕は完全に孤独だった。
僕が学校へ行かなくても誰も気にしない。親は息子がサボっている事にも気づかない。
なんだか急におかしくなって1人で笑った。
こんなに楽しいならもっと早くにこうしていればよかった。
もうどうなったって構わない。
学校なんか、頼まれたって二度と行ってやるもんか。

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