4.
学校へ行かなくなって1ヶ月が過ぎた。
だけど、何も変わらない。
相変わらず学校から電話も来ないし、父さんは僕がずっと家にいる事を知らない。
そして僕はすっかりこの生活に慣れていた。
僕の1日はだいたい10時の起床で始まる。6時半頃父さんが一度起こしに来るけど、今起きるからと言っておけばそれでよかった。
そして10時頃のんびりと起き上がり、遅い朝食を食べる。
その後1時まではテレビを見る。見るテレビは時間ごとに全部決まっていた。
お決まりのテレビ番組を見終わるとゲームをするか漫画を読んで過ごす。
あっという間に1日は過ぎていく。
とても穏やかに過ぎていく。
ある日の午後、リビングで漫画の本を読んでいるとインターホンが鳴った。
僕はもちろん無視した。
昼間尋ねてくるのは大抵セールスか何かだ。そのうちすぐにいなくなる。
ところが、その時だけは違っていた。
インターホンはしつこくしつこく何度も鳴らされた。30回も40回も鳴らされた。
僕は怖くなった。まさか、先生が来たんだろうか?
足音を忍ばせて階段を上る。
2階の廊下の窓から玄関を見下ろしてみた。そしてすぐに首を引っ込めた。
そこには学校の制服を着た男子生徒の姿があった。
心臓が高鳴る。滝沢か? 滝沢が来たのか?
何しに来たんだ。まさか、僕を殴るためにわざわざ家までやって来たというのか?
インターホンは鳴り続けていた。僕は廊下にうずくまって耳をふさいだ。
しばらくするとインターホンが止んだ。心臓はまだドキドキしていた。
「省吾!」
突然僕を呼ぶ声がした。僕は耳をすませた。これはいったい誰の声だろう。
絶対に滝沢の声ではない。だいいち、あいつは僕を名前で呼んだりなんかしない。
「省吾!」
僕は勇気を振り絞ってもう一度窓から顔を出した。たったそれだけの事が僕にとってはものすごい勇気だったんだ。
そこには僕を見上げる圭の姿があった。驚いた。滝沢が来るよりもっと驚いた。
だって、圭とは本当にまともに話した事がなかったんだ。クラスが別々になってからは挨拶さえした覚えもなかった。
でも、圭に悪意がない事はすぐに分かった。
彼は呆れた顔で少し笑うと2階の僕に向かって叫んだ。
「いるなら早く出ろよ。開けてくれ」
すぐに階段を駆け下り、玄関のドアを開けた。
すごく緊張したけど、何故だか彼と話したいと思った。僕は1人でいるのが楽しいフリをしていただけで、本当は誰かと話がしたくてたまらなかったのかもしれない。
「じゃまするぞ」
圭はドカドカと家へ上がりこんだ。
僕はとりあえず彼を自分の部屋へと案内した。
「何か飲む?」
そう言ってみたけど、彼は首を振った。
「お前、寝てなくていいのか?」
最初は何を言われているのかさっぱり分からなかった。
彼は放心している僕を見つめ、言葉を続けた。
「しばらく休んでるんだって? 具合が悪いんだろ?」
そうか。そういう事か。圭は僕の事情を何も知らずにここへ来たんだ。
「ごめん。寝てたのに起こしちゃったか?」
僕は首を振った。
きっと圭には伝わらなかったけど、嬉しくてたまらなかった。
僕は自分の存在が世の中から忘れ去られていると思い込んでいた。
なのに、ほとんど接点のない彼が自分を尋ねてきてくれた。純粋に心配してくれた。
「山岡くん、学校は?」
自分の口にした言葉に落胆した。
こんなに胸が熱いのに、なんてくだらない事しか言えないんだろう。
それでも彼は僕の言葉を笑い飛ばしてくれた。
「俺が授業をサボってる事くらい知ってるだろ?」
僕もつられて笑った。心から笑うなんてすごく久しぶりだった。
「それから、気持ち悪いから山岡くんっていうのやめろよ」
「だって……」
「まぁ座れ。と言っても俺の家じゃないけどさ」
「うん」
僕らはとりあえず座った。
来てくれたのは嬉しかったけど、共通の話題が見つからない。
とその時、圭が思い出したように茶色の紙袋を差し出した。
「忘れてた。お見舞いだよ」
「あ、ありがとう」
僕は二つ折りにされた紙袋を開けてみた。その中にはいわゆるアダルトビデオが入っていた。
「何、これ?」
「見りゃ分かるだろ?」
「それはそうだけど……」
「いいから、とっておけよ」
複雑な心境だった。でも、後から考えるとなんとも彼らしい見舞いの品だ。
圭はベッド脇のローボードの上に並んでいるウルトラマン消しゴムを手でいじりながら少しずつ話を始めた。
「元気そうだな? どこが悪いんだ?」
「……」
「ちゃんと食ってるのか?」
「うん」
「病院は行ったのか?」
「ううん。もう元気になったから」
「そうか」
彼は制服の胸ポケットからたばこを取り出したけれど、それからすぐにもう一度引っ込めた。
僕は家出している母さんの部屋から灰皿を取ってきて彼の前に差し出した。
「たばこ吸ってもいいよ」
「やばいだろ」
「構わないよ」
すると彼は100円ライターとたばこを取り出し、それを黙って僕の手に握らせた。
彼のこういう所がすごいと思う。
僕はその時たばこを吸ってみたいという好奇心に駆り立てられていたんだ。
彼は僕の心を読んでいた。
1本たばこを手に取り、ライターの火を近づけてみる。ところがなかなか火がつかない。
それを見ていた彼は大笑いした。
「こうするんだよ」
彼はたばこを口にくわえ、いとも簡単に火をつけた。随分慣れた手つきだった。
それから彼は火のついたたばこを僕に手渡し、様子をうかがっていた。
生まれて初めてのたばこは、そう悪いものではなかった。
だけど、特別おいしいとも思わなかった。
僕はたばこの後口直しがしたくて冷蔵庫からコーラを取ってきた。
彼は小さくありがとう、と言って2本目のたばこを吸いながらグラスに口をつけた。
会話は弾まなかった。
彼が帰った後に残された物はアダルトビデオとたばこの吸殻だけだった。