5.
それからも、何も変わらなかった。
圭が来てくれた後も僕は相変わらず学校を休んでいたし、父さんとの関係にも変化はなかった。
学校へ行かなくなってから随分時が流れていた。
僕はだんだん情緒不安定になっていった。将来に対する不安で押しつぶされそうだった。
このまま学校へ行かないといったいどうなってしまうんだろう。
いずれ父さんも僕がサボっている事に気づく。
その時父さんはなんと言うだろう。僕は父さんになんと言い訳するだろう。
だけど、自分ではどうしようもなかった。
明日から突然何もなかったかのように学校へ行けばどうなる?
以前の僕に戻るだけだ。滝沢にやられ続けて、助けてくれないクラスメイトにどんどん失望する。
だからといってこのままでいい訳がない。このままだと恐らく高校にだって行けなくなる。
もうずっと勉強だってしていない。急に学校へ戻ってもきっと授業についていけないだろう。
どうしてこんな事になっちゃったんだろう。
僕がいったい何をしたというんだろう。
いくら考えても分からなかった。滝沢はどうしてあれほど僕を攻撃するんだろう。
僕に何か悪い所があるんだろうか。だったら教えてほしい。悪い所があれば直すから。
夏休みに入る1週間前の夜、再び圭が尋ねてきた。
僕は夏休みになる事に怯えていた。
休みに入れば昼間外へ出ずらくなる。もしもクラスメイトに出くわしてしまったら、ひどく気まずい思いをする。
滝沢なんかに会ってしまったら……考えたくもない。
僕はずっとこんなふうに怯えて生きていくんだろうか。
突然僕の部屋の窓に小石が当たる音がした。
窓を開けて下を覗き込むと、そこには私服の圭が立っていた。チェックのシャツにジーパンという出で立ちだった。
「省吾、今出られるか?」
突然の事で動揺した。でも、外へ出たかった。
「今すぐ行く」
僕は鍵と財布だけを持って家を出た。空には星が輝いていた。
驚く事に彼はバイクに乗ってきていた。これには本当に驚いた。
「バイクなんて、どうしたの?」
「パクったのさ。まぁ乗れよ」
そう言って彼は僕に白いヘルメットを投げて寄越した。
いくらなんでもこれはやばいよ、そう言おうとしたのに圭はさっさとバイクにまたがりエンジンをかけてしまった。
もういいや! どうなってもいい!
僕はヘルメットをかぶると言われた通りバイクの後ろに飛び乗った。
圭はすぐにバイクを走らせた。
走り出すと余計な事は考えなくなった。風がすごく気持ちいい。
このままどこかへ飛んでいきたい。
圭はそのまま30分くらい走らせた後、公園でバイクを止めた。
それから僕らは園内を少し歩いて缶ジュースを買い、ベンチに腰掛けた。
「吸うか?」
僕は差し出されたたばこを黙って受け取った。圭もたばこを1本口にくわえた。
夜の公園にはスケボーをしている人や花火をしている人たちがいた。僕はしばらく彼らを目で追っていた。
「お前、マジメなフリして結構不良だな」
隣にいた彼が愉快そうにそんな事を言った。僕は苦笑いをした。
「圭には言われたくないよ」
「お前だってバイクに乗っただろ? 共犯者だぜ」
「そうか。そうだね」
「たばこ吸って、学校サボって、パクったバイクに乗って、俺と何も変わらないじゃないか」
「うん。確かにそうだ」
不思議だった。圭と僕には共通点なんて何もないと思っていたのに、こうしてみると僕らはよく似ていた。
「バイクの運転なんてどこで覚えたの?」
「簡単さ。先輩に教えてもらった」
「僕にもできる?」
「無理だな。お前はトロいから」
「そ、そうかな」
「ウソだよ。でも、やめとけ」
なんだか彼がこの前とは違って見えた。私服のせいだろうか。
最初に家へ来てくれた時はうまく話ができなくて、もうこんなふうに誘ってくれる事もないんじゃないかって思っていた。
だけど今日の僕らはとても自然に話をして、なんだかまるでずっと昔から友達だったような気さえした。
その頃の僕には本当に誰もいなくて、友達も信頼できる人も誰1人いなくて、圭が僕にとってのすべてだった。
彼とまともに話すのはほとんどこれが初めてだった。でも、僕にとっては彼がこの世のすべてだった。
僕はもう学校へは行かず、もちろん高校にも進学できず、就職する事も不可能で、父さんの建てたあの家の中にこもって一生暮らすんだと思っていた。
もう友達なんか二度と作れないと思っていた。恋をする事だって不可能だと思っていた。
なのに、圭は風のように現れて僕を外へ連れ出してくれた。
きっと彼にとってこんな事はごく普通の日常だったと思うけど、僕にとっては特別な時間だった。とても大切な時間だった。
「夏はいいよな。女がミニスカートをはくし」
圭は公園の中を歩いていく2人組の女の子たちを見つめながらそんなふうにつぶやいた。
僕が今いっぱいいろんな事を考えてるのをきっと彼は知らない。でも、それでいい。
「省吾、学校で何かあったのか?」
突然そう言われてドキッとした。
彼はそれを言うために今夜僕を連れ出したんだろうか。
どうしよう。なんて答えればいいんだろう。
「病気で休んでるんじゃないんだろ?」
「……」
「話したくないなら無理には聞かないけど、俺にできる事があったら……」
自分でも気づかないうちに涙が出てきた。とても自然に涙が溢れた。
圭は僕の涙を見ないフリしてた。
「お前のクラスへ行ってもいつもいないし、お前の事聞いても誰も知らないって言うし。
だけど、そんなのおかしいだろ? 友達が何日も休んでたら普通少しは気になって……」
「友達なんかいないもん」
そうさ。あそこには友達なんかいやしない。僕の味方なんか1人もいない。
教室での事を思い出すと悔しくて情けなくて死んでしまいたくなる。
「そんな事ないだろ。お前は昔から人気者だったじゃないか。小学校の時からいつも友達に囲まれてた。俺はお前が羨ましかったよ」
ごめん。僕はあの時圭に声をかけてやれなかった。
「そんな事言うなんてどうしたんだよ。誰かと喧嘩でもしたのか?」
「滝沢誠……」
二度と口にしたくない名前だった。圭はその名前にひどく敏感に反応した。
「滝沢? 滝沢誠か」
「うん……」
「そいつのせいで学校へ行けなくなったのか?」
「……」
とてもうなづけなかった。
滝沢もそうだったけど、助けてくれなかった皆をもっと恨んでいた。
僕が学校へ行けなくなったのは滝沢1人のせいなんかじゃない。
彼はしばらく黙ってそばにいてくれた。
僕が泣き止むまで、そばにいてくれた。
再びバイクに乗って家へ帰ったのは夜中の12時過ぎだった。
圭は僕からヘルメットを受け取ると少し笑ってこう言った。
「心配するな。お前が学校へ行けるようにしてやるよ」
「え?」
「じゃあな」
僕は暗闇の中へと走り去る彼の背中を見送った。
彼とはそれが最後だった。