終わらない夜に
 2.

 「裕太、今日の夜ヒマか?」
学食で昼ごはんを食べていると同じ経済学部の友人、大輔が僕に声をかけてきた。
「何? また合コン?」
「当たり! 来れるだろ?」
「どうしようかな……」
「来いよ。人数が足りないんだ」
大輔は僕の向かい側に座り、牛丼を食べながらそう言った。
僕は三流大学のお気楽な学生だった。
周りの友人は皆遊び人で、僕は時々彼らについていけなくなる。
大輔は黒の長いTシャツにジーパンをはいていた。彼はだいたいいつもこんなスタイルだった。
顔のパーツはどれも大きい。目も、鼻も、口も、とにかく大きい。はっきりとした顔立ちだ。
髪型はしょっちゅう変化する。今日は紺色のキャップをかぶっているからどんな髪型なのかは不明だ。
正直僕には彼のかっこ良さがよく分からない。
だけど大輔は女の子にもてた。いつも違う女の子を連れて歩いてる。
お喋りが上手で、女の子の扱いにも慣れている。
僕にはとても真似ができない。
「6時半に松岡ビルの1階で待ち合わせだ。絶対来いよ」
大輔は僕が返事をする前に食べ終わり、さっさと席を立って行ってしまった。

ため息が出た。いつもこうなんだから……

 僕は人付き合いが苦手だ。
その事をはっきりと自覚したのは大学へ通い始めてからだった。
高圧的なものの言い方をされると口をつぐんでしまうし、相手に自分の意思をうまく伝える事もできない。
広い学食の中を見渡すと、皆楽しそうに友人とお喋りしながら食事を続けている。
そこにいる人たちがだんだん遠くなっていくのを感じた。
僕の周りだけどうしてこんなに静かなんだろう。

 彼といた時はこんなふうに思う事なんか一度だってなかった。
僕と彼との間には沈黙など存在しなかった。
たとえお互いが何も言わずに黙っていたとしても、それは冷たい沈黙とは違ってた。
自分はここにいていいんだ。あの頃はいつもそう思っていられた。
彼の存在だけが僕自身を肯定してくれていた。
今の僕はもうあの頃の僕ではない。
僕がどんなふうでも、時間は迷う事なく刻々と過ぎていく。
なのに、僕だけが立ち止まったままのような気がして不安になる。
僕は17歳の時からずっと動き出せずにいる。

 僕は結局断わり切れず、大輔の言う合コンに参加した。
だけど、退屈なだけだった。 人付き合いの苦手な僕が初対面の女の子たちとうまく話せるわけもない。
女の子たちは皆話し上手な男たちのお喋りに夢中で耳を傾けている。
僕は何もする事がなく、居酒屋のテーブルの上の空いた皿を重ねてみたり、食べたくもないメニューを眺めてみたり、ずっとそんな事をして時間をつぶしていた。
早く帰りたい。ここには僕の居場所がない。
僕はここでは単なる人数合わせの補欠でしかない。
僕はいつからかお前じゃなきゃダメだ、と言ってくれる人をずっと待ち続けているような気がしてた。
他の皆はとても楽しそうに笑ってる。
僕は皆の声がだんだん遠くなっていくのを感じた。
僕の周りだけどうしてこんなに静かなんだろう。

 次の日は朝からバイトだった。
荷台にいっぱいお菓子を積み込んだ軽トラックを運転してオープンしたてのスーパーへと向かう。
今日は天気がいい。スーパーには大勢人がやって来るはずだ。
助手席には同じバイトの学生、順一が乗っている。
彼はさっきから欠伸ばかりしていた。
「寝不足?」
僕が声をかけると彼がけだるそうに答えた。
「昨日飲み会があってさ、早く帰ろうと思ってたんだけど結局朝まで飲んでたんだ」
順一は少し長めの前髪をかき上げるたびに欠伸を重ねている。
声はかすれているし、目は充血しているようだ。
甘党な彼はこのバイトを始めてから5キロも太ったという。
ふと彼の腹部に目をやると、そこだけシャツのボタンがはじけそうになっていた。
「大丈夫?」
僕はボタンの事を言ったつもりだった。
「まぁ、適当にサボりながら1日がんばるさ」
そっちか。僕らはまるで噛み合わないようだ。

 目的地が見えてきた。
すごい。開店1時間前だというのに入口にはもうたくさんの人たちが並んでいる。
僕らは入口から10メートルほど離れた場所に車を止め、荷台に積み込まれたダンボールの箱を次々と地面に降ろしていった。
今日宣伝するのは新発売のミルクチョコレートだ。
昨日のうちにセッティングしておいた赤いテントの下のテーブルに次々とチョコレートを積んでいく。
入口に並んでいる人たちは興味深そうに僕らの作業を見つめていた。
「ちょっと行ってくるね」
僕は順一にそう言い残すと、チョコレートの入ったダンボールを持ってその人たちの列に近づいた。
「おはようございます。お一つどうぞ」
1人1人に試食品のチョコレートを手渡していく。
女の人や子供はとても嬉しそうにそれを受け取る。
男の人はあまり興味もないけどしかたなく、という感じでやはり受け取る。
僕はこんな時いつも考えてしまう事がある。
そこの君、興味ないフリしてるけど、本当は甘党なんじゃないの?
そんな事を思いつつ、ちゃんと1人1人の顔を見ながらチョコレートを手渡していく。
僕はその中にいつも彼の姿を探した。

 電話が鳴った。
だけど、体が鉛のように重い。
どうして君はこんな時に限って電話してくるの?
今日は朝から1日働き詰めで疲れてるんだ。とても起き上がって電話に出る元気がないよ。
呼び出し音はたったの1回半で切れた。
僕は余計に気になって眠れなくなる。
まるで僕の声が届いたかのようにすぐに切れた電話。
分かった。疲れてるんだね。今日はゆっくりおやすみ。どこからかそんな声が聞こえてくるような気がする。
君は僕の事がなんでも分かるんだね。

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