3.
僕はその翌日の放課後、初めて彼にウソをついた。
僕のウソはうまかったのだろう。だって、彼は全然疑ったりしなかった。
「今日、ママが具合悪くなっちゃって……だからすぐに帰らなきゃいけないんだ」
彼は小さく何度もうなづいた。
「分かったよ」
「うん。ごめんね」
僕は逃げるようにそこから走り去った。早く帰って泣きたかった。
家へ帰るとママが掃除機をかけていた。
「裕太、どうしたの? 今日は随分早いのね」
「今日土曜日だよ」
僕はそう吐き捨ててすぐに2階の自分の部屋へ行き、ベッドに突っ伏して泣いた。
自分の感情に戸惑っていた。
どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。こんなふうに泣くなんて久しぶりだ。
今日が土曜日で良かった。週末をやり過ごせばきっと少し気持ちが落ち着く。
月曜日からはまたいつもの自分に戻って何事もなく彼と友達でいられる。
大丈夫。きっと大丈夫だ。
どのくらい時間がたったのか分からない。僕は泣き疲れてウトウトしていた。
その時、いきなり下からママの声が聞こえてきたんだ。
「裕太! お友達が来てるわよ。和也くん!」
その声で飛び起きた。
どうして? どうして彼が?
「和也くん、あの子上にいるから、入って」
「おじゃまします」
間違いない。彼の声だ。階段を上がってくる足音が聞こえる。
どうしよう。まだ心の準備ができていないのに。
僕は彼にウソをついた。彼はその事を知っている。
「裕太、入るぞ」
なすすべがなかった。僕はきっと今ひどい顔をしている。
彼は僕の顔を見てちょっと笑った。
「なにお前、泣いてたの?」
最悪だ。かっこ悪い。彼に1番見られたくない顔を見られてしまった。
僕は叫びたかった。「和也のせいじゃないか!」って叫びたかった。
「ママが元気になって良かったな」
彼は僕を一言も責めなかった。責めるどころか、優しい目で僕を見つめていた。
それから彼は思い出したようにかばんの中からコンビニの袋を取り出した。
「お見舞いにと思って買ってきたのに無駄になっちゃったな。お前、食べろよ」
袋の中身は「バナナアイス」だった。
彼は子供のように微笑んだ。
「バナナ味だよ。結構うまそうだろ?」
「う、うん」
「早く食べなよ。溶けるから」
「うん」
罰が悪かった。彼の優しさが痛かった。
僕は謝るタイミングを失い、言い訳するタイミングもつかめずにいた。
「いただきます」
一口頬張ると、また涙が出そうになった。
こんな時に昨日彼と彼女が仲良さそうにしていたのを思い出してしまったんだ。
僕は必死に涙を堪えた。彼に涙を見せたくない。
彼は椅子に座って僕が「バナナアイス」を食べるのを見つめていた。
そして、穏やかな口調でこう言った。
「あの子はいとこだよ」
心臓が高鳴った。今のは何? どうしてわざわざそんな事言うの?
「別に、そんな事聞いてない」
僕は彼の目が見れなかった。
「独り言だよ。聞き流して」
まるで僕の心を見透かしているかのような彼の言葉に戸惑った。
頬が熱い。気温が高いせいだろうか。僕は急いで「バナナアイス」を食べ終えるとすぐに立ち上がり、窓を開けた。
その時彼が悲しそうな声でつぶやいた。
「全部食べちゃったのか」
「え?」
「一口くらい残しておいてくれてもいいだろ?」
そう言われてから気がついた。でも、もう遅い。
「ごめん、和也」
ますます落ち込んだ。僕はなんて気がきかないんだろう。
ウソをついた事だって、きっと彼を傷つけた。
「ごめんね。怒ってる?」
やっと謝る事ができた。ウソをついた事、彼を傷つけた事。
ほっとしたのもつかの間だった。
僕は突然彼に唇を奪われた。
ほんの一瞬の出来事だった。今日は彼に驚かされてばかりだ。
「バナナの味がする」
彼はそれだけ言い残すと部屋を出て行った。
残された僕はたた戸惑い、動く事すらできずにいた。