変身
 7.

 中学の頃、鏡の中の自分を見つめていつも首をかしげた。
のっぺらとして、特徴のない顔。
背が高いのはいいとしても、足はそれほど長くはない。
勉強が得意なのはいいとしても、秀才と呼ばれるほどではない。

 僕は女にもてた。
中学1年の時なんか、同じクラスの半数の女子に告白された経験がある。
自分でもどうしてなのか分からなかった。僕よりかっこいいヤツなんか山ほどいるはずなのに。
二枚目でもなく、足が長くもなく、特別何ができるってわけじゃない。
周りの女たちはいったい僕のどこを気に入ってくれるんだろう。

 ただ僕には絶対にこの人だ、と思えるほど好きな人がいなかった。
だけど、それでも構わないと思った。そういう人はそのうち見つかるものだ。 そう思った僕は何人かの女と付き合ってみる事にした。
でも、どの人ともあまり長続きする事はなかった。
男友達は皆僕を羨ましいと言ったけれど、僕自身は羨ましがられる事なんか何もないと思っていた。
正直言って女と付き合ってもそれほど楽しいと思った事はなかったし、誰と付き合っても同じようなものだったからだ。
まぁ、あの頃は付き合うといっても一緒に学校へ行くとか、休みの日に友達を交えて遊びに出かけるとか、その程度のかわいいものだったから、誰が相手でもそう代わり映えしなかったのは当然といえば当然だ。

 僕は変化を求めていたのかもしれない。つまらない恋愛に飽き飽きしていたのはたしかだった。
中学3年の時、僕は教師と付き合った。当時23歳だった国語の金本先生だ。
彼女は男子生徒に人気があった。
かわいくて、スタイルがよくて、優しくて、授業もおもしろい。
あの頃男子生徒たちは皆彼女に気に入られようと必死になって国語の勉強に励んだものだった。
ちょっと反則かもしれないけど、生徒たちにやる気を起こさせたという点で彼女は優れていたのかもしれない。
でも僕は皆とは違ってた。
僕は元から国語が得意だったし、好きだった。 だから特別彼女が国語担当の教師になったからといって今まで以上勉強に励むという事はしなかった。

 あれは5月最後の日曜日だった。
僕はその日の午後、あまりにもヒマで近所の本屋へ行き、マンガを立ち読みしていた。
そこは小さな本屋だった。
自動ドアから中へ入るとすぐ右側にレジがある。 僕の目当てであるマンガのコーナーはレジの目の前だった。
でも僕はちゃんと心得ていて、店主が見ていないすきに本棚から素早くマンガの本を取り出し、それから1番奥にある参考書のコーナーへ移動して立ち読みをするんだ。
でも、2時間くらい立ち読みしていると渋い顔をした店主と目の合う数が多くなった。
店主の死角になる場所へ移動しても、今度は店主が僕の見える場所へと移動してくる。僕の移動作戦もそろそろ限界だ。
そのうち店主が本を整理するフリをして僕のすぐ側へやって来た。
店主は無愛想な親父だった。彼の目は僕に「帰れ」と言っている。
もうこれ以上ここにいるのはまずい。そろそろ出よう。
そう思ってマンガの本を元の位置へ戻し本屋を出た時、僕の目の前に1台の赤い軽自動車が止まった。
運転席の窓が開いて顔を出したのは金本先生だった。

 「吉田くん、どこ行くの?」
僕はその時なんて答えたんだろう。
とにかく、その後僕は彼女の車に乗り込んだ。
その日は天気がよくて風もなく、穏やかなドライブ日和だった。
彼女はその時、いつもの金本先生ではなかった。
学校ではいつもスーツ姿なのにその時はポロシャツにミニスカートというラフな格好をしていて、しかもまるで友達と話すみたいに僕に話しかけてきたんだ。
僕も彼女の真似をして友達と話すみたいに彼女と話をした。
その時の僕らはまるっきり対等だった。生徒と教師ではなく、ただの男と女だった。
「本屋で立ち読み?」
「うん」
「ヒマだったの?」
「ああ」
「ねぇ、どこ行きたい?」
金本先生は運転していたから、僕の顔を見ないで話していた。
だけど僕は違った。僕は休日の彼女を助手席からじっと見つめていた。
彼女の横顔は教師の横顔ではなかった。
教師という仮面を脱ぎ捨てて開放的になった女の横顔だった。
彼女がどうして僕を誘ったのか。その理由は彼女の横顔を見ていてなんとなく分かった。
それまで僕は彼女をもっと大人だと思っていた。でも、その時の彼女は教師でもなく、大人でもなく、ただの女だった。
僕の言う大人の定義というのは、うまく言えないけどちゃんとした大人の振る舞いをする人だ。
とにかくその時の彼女は僕の思う大人の人とは違っていた。
彼女のしようとしている事はとても罪深い事のように思えた。
僕はその事にすごく驚いていたし、戸惑っていた。
でも僕は彼女のしようとしている事に驚き、戸惑いながらも今までにないパターンにワクワクしていた。
僕らのしようとしている事は誰にも言えない秘密になるだろう。だって、世間では僕ら2人は生徒と教師という関係なんだから。
「ねぇ、どこ行きたい?」
彼女にもう一度そう言われたが、僕に行くあてはなかった。
結局その日はただ気まぐれに道路を走り続けただけだった。
途中どこかのコンビニでジュースを買って飲んだくらいで、あとは本当にただ車に乗って走るだけという退屈なドライブだった。
ただ、すごくよく覚えている事が一つだけある。
空は晴れていたのに、途中で急にパラパラと雨が落ちてきたんだ。それは天気雨というやつだった。
雨はすぐにやんだ。5分もしないうちにやんだ。
そしてその後、僕らの目の前に虹の橋が現れた。とても色鮮やかな虹だった。
突然目の前に現れた虹の橋。最高の演出だった。
ドライブ開始から2時間後。僕らは付き合う事になっていた。

 でも、やはり彼女とも長続きはしなかった。
実際に僕と彼女が付き合ったのはたったの1ヶ月間だけだった。
僕らの別れた理由はあまりに陳腐なものだ。
彼女は僕が同じクラスの女子と話しているだけで不機嫌になるような人だった。
彼女はいつもおもしろくなさそうな顔をして僕に説明を求めた。
「女の子と何を話していたの?」
僕は最初のうち、いつもきちんと彼女に説明をしていた記憶がある。
「女の子と話していたのは学級会の打ち合わせをしていただけだよ」とか「ノートを見せてと言われて返事をしただけだよ」とか。
だけど、そんな関係が長く続くはずもない。僕はすぐに彼女についていけなくなり、別れ話を切り出した。
「もう先生とは付き合えない」
「そう。分かったわ」
僕らは最初の時と同じように、赤い軽自動車の中で別れ話をした。
僕は彼女の顔を見ずに話を切り出した。彼女も僕の顔を見る事はなかった。
その時彼女は大きな抵抗は見せず、僕らは本当にあっさりと別れた。
よく晴れた日の放課後だった。
急に雨が降り出す事もなかったし、虹の橋が現れるような事もなかった。
もしもあの時目の前に虹の橋が現れたとしても、きっとそれほど綺麗だとは感じなかったような気がする。

 彼女が本気で僕を好きだったなんてとても思えない。
もしかして彼女は最初の日、車に乗って僕を待ちぶせしていたのかもしれない。
でもそれは、ずっと後になってから思い浮かんだ考えだった。
付き合ってみるまでは分からなかったけど、彼女はものすごい自信家でプライドが高く、独占欲が強い人だった。
彼女は他の男子生徒のように自分に心酔しなかった僕の事が我慢できなかっただけなんじゃないだろうか。
そして自分と付き合えば僕も彼女に心酔するようになると思っていたんじゃないだろうか。
彼女にとってはそれこそが1番大事な事だったんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。

 この話には続きがある。
彼女は自分に心酔する事もなく別れを口にした僕を恨んでいた。そうとしか思えない。
でなきゃ、あんな事をするはずがない。
彼女は僕と別れた後、教師という立場を利用して僕に復讐した。
7月に行われた一学期の期末テスト。そこが彼女の復讐の舞台だった。

 期末テストは3日間に分けて行われた。
国語のテストは最終日の2時間目だった。監視役は金本先生だ。
僕は答案用紙にスラスラと答えを書き入れ、残りの10分で見直しをする余裕まであった。
テストの最中に僕が教壇の上の金本先生を見る事は一度もなかった。
だから、彼女がその時どんな様子だったかはまるで分からない。
とにかく僕は他の生徒たちと同じように制限時間ギリギリまでテストに集中していた。
僕の耳には鉛筆で文字を書くカリカリという音以外に何も聞こえなかった。

 やがてチャイムが鳴り、テストは終了した。
「はい終了。後ろから集めて」
監視役の金本先生がそう言うと、縦7列に並んでいる各列の1番後ろの席の生徒が一斉に立ち上がった。
僕はその時、壁際の後ろから2番目の席に座っていた。
僕の後ろは諏訪さんの席だ。彼女は立ち上がり、僕の手から答案用紙を受け取って自分の答案用紙の上に重ねた。
そうやって1番後ろの生徒が自分の列の答案用紙を集め、監視役の先生に手渡すのがいつものやり方だった。
国語の後はたしか社会のテストだった。それが終われば期末テストはすべてお終いで、後は夏休みを待つだけとなる。
すべてのテストが終わった瞬間、クラス全員が歓喜の声を上げ、教室内はにわかに騒がしくなった。
僕もほっとしていた。テストのための勉強でしばらく寝不足だったんだ。
これで今日はゆっくり眠れる。そう思うと自然と笑顔になっている自分がいた。

 ところがその後、急展開が待っていた。
帰りのホームルームを行うために教室へやってきた担任の中橋先生の顔がやけに険しい。
テストが終わって浮かれていたはずの皆がそれを見て静まり返った。 中橋先生は普段から優しい人だったけど、たまに怒るとものすごく怖いんだ。
「吉田修一! 立て!」
中橋先生が教壇の上から大きな声で叫んだ。
あまりに突然だった。先生の怖い顔が突然僕1人に向けられた。
いつも優しいはずの先生の目はその時怒りに燃えていた。あんなに怒った先生を見たのは初めてだった。
僕は言われるままに立ち上がった。クラスの皆は静まり返ったまま僕に注目していた。
心臓が高鳴り、首筋から汗が流れていく。
まるでわけが分からなかった。僕がいったい何をしたというのだろう。
「お前、答案を白紙で出すとはどういうつもりなんだ!」
中橋先生は教壇の上から僕の国語の答案用紙を皆に見せつけた。
僕は目を疑った。僕の名前が書かれた答案用紙は全くの白紙だったんだ。

 その後はひどい目に遭った。
その後僕らの教室へ呼ばれた金本先生は「悲しい」と言って皆の前で大泣きした。茶番だ。
柔道初段の中橋先生には力一杯殴られた。そして母さんは学校へ呼び出された。
あの時皆の前で僕が一言謝ればそこまではいかずに済んだと思う。
だけど、僕は謝らなかった。どんなにそうしろと言われても絶対に謝らなかった。

 僕はそれから毎日居残りさせられた。金本先生から国語の課題を与えられたんだ。
ぶ厚い問題集を3冊。それを全部やり終えるまでは毎日居残りだと言われた。 夏休み前までに出来なかったら休み中にも学校へ出て来るようにと言われた。
僕は黙ってそれに従った。来る日も来る日もひたすら1人教室に残って机に向かった。
時々1人で教室にいる時に金本先生が僕の姿を見に来る事には気づいていた。
でも、僕は彼女の視線に気づかないフリをした。

 僕に問題集を手渡した時の彼女のあの勝ち誇ったような目。
あの目は今でも忘れる事ができない。

 居残りして6日目。
その日も皆が帰るのを待って、課題に取り組んだ。
窓の外からは部活動に励むサッカー部員の声が聞こえてくる。
友達と連れ立って下校する女子生徒の笑い声がこだまする。
僕は夕日の差し込む教室でただ黙々と机に向かっていた。
黙って課題に取り組む事。それが僕の金本先生に対する復讐だった。
僕が一言も言い訳せず、自ら罰を受け入れる事で彼女は傷つくはずだ。僕にはそれが分かっていた。
人から罵声を浴びるよりもっとつらい事。それは、人に無視される事だ。
僕は彼女の復讐を無視した。騒ぎ立てたり、泣きわめいたり、彼女を責めたり、そんな事は決してするまいと思っていた。
だって、それこそが彼女の望みなんだ。
混乱して、泣きわめき、「君はひどい人だ」と叫ぶ僕を見る事が彼女の望みだったんだ。
僕にはそれがよく分かっていた。 たった1ヶ月付き合っただけで彼女の事はすべて知り尽くしていた。
彼女はそれほど薄っぺらな女だったんだ。

 その日1時間ほど机に向かっていると、やっと1冊目の問題集をやり遂げた事に気がついた。
僕は休憩を取ろうとシャーペンを投げ出し、誰もいない教室を漠然と見回した。
放課後の教室はやけに広く感じた。
黒板には誰かが消し忘れたいたずら書きが残っている。 僕は立って行って黒板消しを手に取り、消えかけたその文字を丁寧に消していった。
白いチョークの粉がパラパラと僕の身に降りかかる。

 その後僕は教壇に立って教室全体を眺めてみた。
金本先生とうまくいっている頃、彼女はそこから僕に熱い視線を送っていた。
でも、それはもう遠い昔の話だ。
そこへ立つまでは気づかなかった。教師はいつも生徒を見下ろしているものなんだ。
彼女は教壇を下りても僕を見下ろしていたかったんだ。きっとそれだけなんだ。

 僕は突然気になる事があって教壇を下りた。
教壇に立たなければきっとそれに気づく事はなかった。

 僕は教壇を下りて机の間をすり抜け、教室の1番後ろにある棚へと向かって歩いた。
その棚は各教室に備え付けられている物だった。
縦横30センチくらいの正方形のスペースが横長に並んでいて、ちゃんと出席番号順に自分の使用する棚の位置は決められている。
そのスペースは1人に1つずつ与えられ、各自それぞれがジャージや辞書などを置いておくのに使っていた。
僕は教壇の上から自分の使用している棚を見た時、何か釈然としないものを感じていた。
それがいったい何なのか。それをちゃんと確かめたかった。
僕の目線より少し低い位置にある自分だけのスペースを間近で見つめてみる。やっぱり何かおかしい。
そこには無造作に丸められた紺色のジャージが入れてあった。そしてその横には国語辞典と和英辞典が立てかけてあった。
僕はやっと気づいた。間近で見てやっと気づいたんだ。
僕は几帳面な所があって、ジャージはいつもきちんとたたんでいたし、辞書だってちゃんと棚の角に合わせて真っ直ぐに立てかけておいたはずだ。
なのにその時、ジャージは無造作に丸められ、2冊の辞書は少し斜めに傾いていた。
でも、その時はまだそれがどういう事なのかよく分かっていなかった。
きっと誰かが誤って僕のジャージや辞書を落としてしまい、その人が適当に棚の中へそれらを詰め込んだのだろう。 そのくらいにしか思っていなかった。
僕は元のように2冊の辞書を真っ直ぐに立てて、それからジャージを綺麗にたたみ直そうと何も考えずに棚の中から引っぱり出した。
その時、本当の異変に気づいた。ジャージの下に何かある。
そこにあったのは、僕が与えられた国語の課題だった。しかも3冊全部ある。
一瞬わけが分からなかった。振り返って自分の机の上を見つめる。
僕の机の上にはたしかに金本先生から受け取った3冊の問題集が置いてあった。
僕は動揺しながら棚の中からそこにあった問題集を取り出し、パラパラとページをめくってみた。3冊全部めくってみた。
ぶ厚い3冊の問題集には全部答えが書き入れられていた。
信じられない思いがした。これはいったいどういう事だろう。

 突然窓の外から強い風が入ってきて、僕の手にしていた問題集のページが再びめくれた。
僕はその時見たんだ。
1番最後のページの右端に小さく"ごめんね"という文字が書いてあるのを。
一瞬、金本先生の顔が頭に浮かんだ。
僕はもう一度自分の手でページをめくり、そこに書かれた文字を食い入るように見つめた。
すると金本先生の顔は頭から消え去った。
先生の字なら見ればすぐに分かる。そこに書かれた文字は彼女の筆跡とは違っていた。

 その後僕はどうしたか。
僕は諏訪さんの使用している棚の前に立った。
我ながらつまらない事を覚えているものだと思った。
僕は以前クラス全員に国語の宿題が出された時の事を思い出していた。それは僕と金本先生が付き合う前の事だった。
僕はその時すっかり宿題の事なんか忘れていて、提出日の朝隆志に「ノートを見せてくれ」と言われるまで全く思い出す事がなかった。
隆志は僕をあてにしていたからもちろん宿題には全然手をつけていなかった。僕は忘れていたんだから、もちろん隆志と一緒だった。
隆志は他の男子生徒同様、金本先生に心酔していた類のヤツだったから、彼にとって国語の宿題を忘れるという事は大問題だった。
僕の方は忘れてしまったんだからしかたがないと思い、正直に先生にそう言おうと決めていた。
あの日の1時間目はたしか理科の授業だった。
その授業が始まって20分くらいたった頃だろうか。 机に向かって黒板の文字をノートに書き写していた僕の手元に突然どこからか小さく丸められた紙くずが飛んできた。
なんだろう、と思っていたら今度は僕の所へ青い表紙のノートが回ってきた。僕はわけが分からないままそれを受け取った。
すぐに受け取ったノートをパラパラとめくってみる。それは誰かの国語のノートだった。しかも宿題に出された問題が全部やってある。
僕は反射的に前方の席に座っている隆志に目をやった。すると彼は笑顔で僕にVサインをした。
小さく丸められた紙くずを開いてみると、そこには"今のうちにノートを写せ"と書いてあった。
僕はノートの裏表紙に"諏訪由香里"と書いてある事に気づいた。
ようやく分かった。隆志は彼女のノートを勝手に持ち出したに違いない。

 本当につまらない事を覚えているものだ。
僕はその時彼女の使用している棚の前に立ち、何冊か立てかけてあるノートを次々と手に取って開いてみた。
そして国語のノートを見つけた時、僕は確信した。
小さくて角ばった特徴のある文字。彼女に間違いない。
僕のジャージの下に答えをすべて書き込んだ問題集を置いたのは諏訪さんに間違いない。

 僕は彼女のノートを元の位置に戻し、呆然として再び自分の席に着いた。
最初は彼女が何故こんな事をしたのか皆目検討がつかなかった。
僕は彼女と口をきいた事さえほとんどなかった。彼女に恩を売った覚えももちろんない。
彼女はいったいどういうつもりでこんな事をしたんだろう。
僕は夕日が差し込む教室でしばらくずっとその疑問と格闘した。
もしかして彼女は僕の事が好きなんだろうか。そんなバカな事さえ考えた。
だけど、僕は気づいたんだ。

 隆志から彼女のノートが回ってきた時、僕は結局そのノートを写した。
彼女のノートには小さくて角ばった文字がぎっしり並んでいた。
大事なところには赤線が引いてある。そして、時々ノートの隅の方に小さな星印が書いてある。
僕は宿題の答えを写し終えた後、すべてのページをめくってその星印にどんな意味があるのか探ろうとした。
星印はあるページには5個くらい並んでいるし、そうかと思えば1個も書いていないページもある。
よく分からない。この星印にはどんな意味があるんだろう。
分からないとなると余計に気になってしかたがない。
僕の後ろは諏訪さんの席だった。
思わず後ろを振り返って「これ何?」と聞きたい衝動に駆られた。
だけど、そんな事ができるわけはない。僕は彼女のノートを盗み見していたんだから。

 彼女はテストの時も同じように僕の後ろの席だった。
僕の頭の中には期末テストの光景が鮮やかに蘇えっていた。
各科目のテストが終わるたびに彼女は立ち上がって僕の答案用紙を受け取った。
国語のテストの時だって同じようにしたはずだ。
彼女は僕の答案用紙を見ている。僕の答案用紙が白紙じゃなかった事を知っている。
彼女はこんな形でちゃんと分かってるよ、って事を僕に示してくれたんだ。

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