夢の続き
 1.

 俺が両親に連れられて精神科病棟を訪れた時、最初に通されたのは真っ白な部屋だった。
真っ白な部屋には真っ白な机とイスがあり、白衣を着た医者が座っている。銀ぶちのメガネをかけた若い医者だ。
俺は前にもここへ来た事がある。彼の顔を見た時、俺はすぐにそう思った。
「あきらくんだね。16歳か。どうぞ、座って」
俺にイスを勧める先生の声は緊張していた。その理由は彼が自ら説明してくれた。
「君は僕が担当する初めての患者さんだ。至らない所は多いと思うけど、まぁカンベンしてよ」
なかなか良さそうな人だ。俺はこの人を気に入った。

 先生は俺に「なんでも話せ」と言う。
だけど話したってどうせ分かってもらえないという気持ちが勝っていて俺はしばらく口をつぐんだままただ彼と向かい合っていた。

 「ご両親に"余計な事は言うな"と言われたかな?」
当たりだった。彼は意外にカンがいい。
うちの両親は俺を病院へぶち込みたいくせに、それでいて「おかしな事は医者に言うな」と俺を脅していたんだ。
彼はやっぱりそうか、といった様子で笑顔になり、俺の目を見てこう言った。
「あきらくん、ここは警察じゃない。たとえ君がどんな罪を犯したとしても僕には君に罰を与える権利も資格もない。君がここで話す事は君と僕だけの秘密なんだ。決して外部の人間に話が漏れる事はない。だから安心して話してほしい」
俺は一生懸命な彼をますます気に入った。
父さんも母さんも俺の話になんか耳を貸さなかったのに、仕事とはいえ彼はなんとか俺の話を聞こうとしてくれていた。
そして彼はこう続けた。
「なんて言っても信じられないよな。大人はウソつきだもん」
俺は思わず吹き出した。すると彼は真っ赤な顔をして俺に問い掛けた。
「僕、何かおかしな事言ったかな?」
そうじゃない。そんなんじゃない。
この人なら信用できるかもしれない。この人なら俺を理解してくれるかもしれない。
そう思っただけだ。ただそれだけだった。

 この人にならすべてを打ち明けてもいい。ただし、条件付きだ。
「ねぇ、俺全部話すよ。でも、その前に約束して」
「何かな?」
「俺をしばらくここへ置いて」
さすがに彼は驚いたようだった。
恐らくここへ来る人たちは皆"自分はどこも悪くない。だから早く帰してくれ"と言うのだろう。
「それは、君しだいだな」
「カルテに書いといてよ。俺はイカレてるって」
彼はしきりにメガネを上下させた。
「ダメなら何も話さない。だったらイカレて言葉を忘れてるって書けるだろ?」
彼は笑わなかった。
ただ俺の両手首の擦り傷をじっと眺めていた。
俺は慌てて両手を後ろへ回した。
「それ、縛られた跡だね?」

 しばらく沈黙が流れた。
その時、わずかに開けられた窓から風が入ってきてかすかに草の匂いがした。
窓には鉄格子が取り付けられていた。

 先生の方が先に折れた。このままではどうしようもないと思ったんだろう。
「分かった。君には入院が必要だとご両親に伝えよう。ベッドは空いてるし、病院も儲かるし、ちょうどいいな」
「俺の親、俺を一生ここに置いといてくれって言っただろ?」
彼はまたメガネを上下させた。
分かりやすい。この人は困った時こうするんだ。

 「まぁいいや。何から話せばいいの?」
俺は真っ白な部屋を隅から隅まで眺めながらそう言った。
やっぱりだ。俺は前にもここへ来た事がある。

 「どんな事でも構わないよ。君が話したい事を話して」
俺は少しこの人をからかってみたくなった。
「先生は結婚してるの?」
「いや、まだだよ」
「彼女はいる?」
「いない」
「どんな人がタイプ? 髪は長い方が好き?それともショートの方が好き?」
「ショートかな」
「へぇ。俺と同じだね」
彼は咳払いをしてメガネを上下する動作を繰り返した。
「どうしてそんな事を聞くの?」
「だって、話したい事を話せって言っただろ?」
「僕の好みに興味がある?」
「別に。そうじゃないけど」
「そうか。続けて」
あ、俺が見たのはこの光景だ。先生がメガネをはずして、もう一度かけ直す。
彼はもうじき白衣の襟を正すだろう。

 「先生、俺の夢の話をしようか」
それは長い長い夢物語だ。
俺はそれから3日間かけて自分の思いのすべてを打ち明けた。

   TOP  NOVELS  LONG STORIES  BACK  NEXT