10.
けだるい朝の気配を感じて僕の体が目を覚ます。
肌に直接触れるシーツの感触が心地いい。でも、もっと心地いいのは隣で眠る彼女の体温。
まだ眠くて目が開かなくても、すぐ近くに彼女の存在を感じる。
「う……ん」
彼女が小さく欠伸をしながら寝返りを打った。彼女の白い肌とシーツの擦れ合う音が僕の脳を刺激する。
ゆっくり目を開けると、すぐ近くに彼女の顔があった。
彼女は枕に頭を乗せたまま、いつものように輝くような笑顔で僕を見つめていた。
頬に降りかかる長い髪を左手で払い、彼女を抱き寄せておはようのキスをする。
でも次の瞬間彼女の目がベッドサイドの時計に奪われ、僕はまたその時計に嫉妬する。
「いけない! もう11時よ!」
「えっ!」
僕は嫉妬も忘れて飛び起きた。あまりにも勢いよく起き上がったもので、ベッドの縁に頭をぶつけてしまった。
ジンジンする頭を右手でなでながら憎き時計に目をやると、たしかに今が11時22分だという事が分かった。
「急がなきゃ!」
僕らは同時にそう叫び、昨夜の余韻を楽しむ間もなくさっさと洋服を着てホテルを飛び出した。
外へ出ると朝の光が眩しかった。夜中に雨が降ったようで、車のフロントガラスには雨粒がいくつも貼りついていた。
冷え切った車に無言で乗り込み、彼女をビデオ屋の近くで降ろし、一度家へ帰って着替えを詰め込んだバッグを鷲づかみにし、バスに乗って空港へ辿り着いたのが午後1時ジャスト。
飛行機の搭乗口までは、これ以上無理だというくらい全速力で走り続けた。
僕はその日、福岡直行便の飛行機へ乗り込んだ最後の客となった。
僕は恐らく飛行機の座席に着いた瞬間、眠りに落ちた。
福岡へはあっという間に着いてしまい、到着出口を出るとすぐに兄ちゃんの姿を見つけた。
兄ちゃんは北海道の実家から持っていった白いトレーナーを着ていた。その事が、なんとなく僕を安心させた。
僕は小雪さんが側にいなくても、もう淋しくなんかなかった。
ただ純粋に半年近くも会っていない兄ちゃんの顔を見て、すごく嬉しくなった。
「ユウ! 元気だったか?」
「うん。兄ちゃんも元気そうだね」
明るい日差しが差し込む空港の中で、僕ら兄弟は再会した。
この再会が僕の心を大きく揺るがす事なんか、まるで知りもせずに。
兄ちゃんの住むアパートへ向かうため、僕らはすぐにタクシーに乗り込んだ。
その日の僕は、きっと兄ちゃんが知らない僕だった。
僕はその時、両手にいっぱいの幸せを抱えていた。
福岡は北海道と違って、まだ夏の余韻が残っていた。暖かいし、日が長いし、木々の葉は青々としている。
太陽の輝きが北海道とは全然違う。僕は車の中から福岡の輝く太陽を見上げた時、その丸い太陽が小雪さんの笑顔と重なって見えた。
小雪さんは僕と一緒に来てくれたんだ。彼女はいつでも僕の側にいる。
僕が今太陽の温かさだと感じているのは、きっと本当は彼女の体温なんだ。
「ユウ、何かいい事があったのか?」
兄ちゃんはカンがいい。僕の様子を見てなんとなく浮かれている事が分かったらしい。
僕は後部座席に並んで座る兄ちゃんの面長な顔をただ黙って見つめた。
時々揺れるタクシーに身をまかせ、昨夜の事を思い出して緩んでしまう口許を隠そうともせずに。
「後でゆっくり話を聞かせろよ」
兄ちゃんはそう言って、僕の頭を軽く小突いた。
兄ちゃんの髪は少しだけ長くなっていた。そして、少し頬がこけていた。
でも以前と変わらず僕の事をなんでも分かってくれる兄ちゃんは健在で、僕を優しく見守ってくれるのは兄ちゃんだけだと再認識した。
しばらく走り続けてやがてオフィス街へ近づくと、兄ちゃんが外に見える白い建物を指さして自分が働いているビルだと教えてくれた。
定期的に並ぶビルの窓ガラスは、太陽の光が反射して光っていた。
さすがに立派で、一際目立つ大きなビルだった。
でも、だからといってもうコンプレックスを感じたりはしない。
中山デパートは壁にヒビが入っているオンボロだけど、僕はそこで小雪さんと出会ったのだから。