エレベーターボーイ
 9.

 僕と小雪さんとの距離が縮まるのに長い時間はかからなかった。
彼女とは昔からの知り合いみたいで、なんというか、運命を感じていた。
小雪さんは愛情を惜しまず、かといって愛情の押し売りもせず、ただいつも僕の側にいてくれた。 最初のデート以来、僕らはほとんど毎日会っていた。
当てのないドライブがいつも2人のデートコース。 父さんは僕が車を使う事を快く思わなかったけど、そんな事は気にならない。 小雪さんさえ側にいてくれたら、父さんの小言だって余裕で聞き流せる僕だった。
小雪さんと会えない日は淋しくてしかたがなかったけど、そんな夜は彼女の事を想いながら眠りに就いた。

 久しぶりに兄ちゃんが電話をくれたのは、10月初めの事だった。残暑もようやく収まり、秋の気配を感じるようになった頃の事だ。
兄ちゃんからの電話は、近いうちに福岡へ遊びに来いという内容だった。
僕は、白状だ。辛い時はいつも兄ちゃんに話を聞いてもらっていたのに、今は兄ちゃんと会うより小雪さんと一緒にいたいと思っていた。 そう思った僕は、兄ちゃんへすぐにいい返事はしなかった。
でも小雪さんは僕より少し大人で、"せっかくだから行った方がいいよ" と僕へ福岡行きを勧めた。 僕は彼女に "一緒に来ないか" と誘ったけど、やんわりと断られた。

 10月20日から23日まで。僕は初の有給休暇を取った。 6番目のエレベーターボーイには、あっさりと休暇が認められた。
でも、たった4日間小雪さんと会えない事が僕はすごく淋しく感じていた。 兄ちゃんと会うと楽しいっていう事は分かっていたけど、その時の僕には小雪さんが何よりも1番大事だった。
最初のデート以来、僕らは2日と空けずに会っていた。それなのに4日間も離れるなんて、泣きそうなほど辛かった。

 10月19日。福岡へ行く前の晩。僕はもちろん小雪さんと会った。
淋しくて、淋しくて、僕は公園の駐車場に止めた車の中でずっと彼女の手を握っていた。 でも彼女はクールだった。それとも、僕があまりにも子供だったんだろうか。
「たった4日間離れるだけだもん。またすぐに会えるよ」
握った手に力を込めながら、助手席の小雪さんがそう言って微笑む。
彼女の白い肌。長い髪。大きな目。小さな口。 それを全部忘れないように、僕はずっとずっと彼女を見つめてそのすべてを目に焼き付けようとしていた。
「明日、何時の飛行機?」
「午後1時20分」
「じゃあ、明日は朝寝坊できるんだね」
「うん」
彼女の声は、余裕たっぷりだった。
それは、僕が彼女を大好きだから。他の子なんか絶対に目に入らないほど大好きだから。 小雪さんはちゃんとその事を知っているから、こんなに余裕たっぷりなんだ。
でも僕は、自分に自信がなくて。
離れている間に彼女が心がわりしたらどうしようって、心配ばかりしていて。
だって、小雪さんは僕にはもったいないくらい綺麗な人だから。
彼女を好きになる男は、きっといくらでもいるから。
僕はたった1日会えない時でさえ、いつもその不安と闘っていた。
「福岡から、毎日電話するよ」
「うん」
「ずっと、僕の事だけ考えていて」
「うん」
小雪さんは、静かな車内で何度もうなづいた。
公園を照らす白い外灯が、彼女の綺麗な顔を僕にしっかり見せてくれていた。
ずっと僕だけを見つめていた小雪さんの目が、ふと車に備え付けられているデジタル時計を見つめた。 僕はこんな時、彼女の目を奪った時計にさえ嫉妬する。
「もうすぐ日付が変わっちゃうね。明日の朝、何時に家を出るの?」
小雪さんの目はまだ僕の所へ戻ってこない。彼女は俯いて、自分の足元を見つめている。
「11時半くらいかな」
"こっち向いてよ" 本当はそう言いたいのに、僕はいつも何も言えなかった。
「じゃあ、もうちょっと一緒にいてもいい?」
「うん」
「明日の朝まで、一緒にいてもいい?」
彼女は最後まで顔を上げなかった。強く握った彼女の手が、微かに震えていた。
僕たちはもう、お互いへの想いを止める事ができなかった。

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