エレベーターボーイ
 11.

 兄ちゃんのアパートは閑静な住宅街にあった。
周りには立派な一軒家が立ち並び、それにまじって時々新しいアパートが目に付く。
兄ちゃんの住む2階建てアパートは、その中では比較的こじんまりしていた。1階と2階に2軒ずつ部屋があるだけだ。
「小さいアパートだね」
僕は兄ちゃんの後について階段を上りながらその背中に語りかけた。
「エレベーター付きのマンションなら、お前に案内してもらうんだけどな」
兄ちゃんは冗談めかしてそう言い、階段を上がってすぐに見えてきた白いドアの鍵を開けた。
福岡の空は快晴だった。

 「ユウ、何か飲むだろ? コーラでいいか?」
「うん」
兄ちゃんの部屋は、それほど広くはなかった。玄関を入ってすぐ横にキッチンがあり、あとは8畳ほどの部屋が1つあるだけだった。
兄ちゃんは流し台の横の小さな冷蔵庫から缶ビールと缶コーラを取り出し、白いビニール袋に入っているスナック菓子と一緒にそれを持ってきた。
僕は座布団の上に腰を下ろし、1つしかない部屋の真ん中に置かれたテーブルに肘を付いた。
狭い部屋だけど、日当たりは抜群だった。奥にベッドがあり、窓の下にテレビがあり、その横には大きな棚がある。 大きな棚の1番下の段には難しそうな本が詰め込まれ、下から2段目にはアルバムや漫画の本などが並んでいた。 もっと上の段にはたばこや灰皿やペンなど細かい物がごちゃごちゃと置かれていた。 後ろを振り返ると2枚の襖があり、そこは恐らく押入れだと思われた。
「夜は屋台でラーメンでも食おうな」
兄ちゃんはそう言ってテーブルの上に缶ビールと缶コーラとスナック菓子を並べ、棚から取り出したたばこと灰皿をその手前に置き、僕の向かい側に腰掛けた。
水色の絨毯の下はとても柔らかく、床には恐らく畳が敷き詰められていると想像がついた。

 缶ビールと缶コーラで乾杯した後、兄ちゃんはたばこをくわえて火をつけながら久しぶりに会う僕の顔をしばらく黙って見つめていた。 兄ちゃんの目は笑っていて、口許には白い歯が見え隠れしていた。 兄ちゃんが吐き出したたばこの白い煙が、空中で揺れていた。
「父さん、元気か?」
僕は今の今まで上機嫌だったのに、兄ちゃんのその一言で急にテンションが落ちてしまった。 せっかくいい気分だったのに。小雪さんの事を1番に話したいと思っていたのに。
「父さんとは、あまり話さないから」
「話し相手になってやれよ。2人きりなんだからさ」
「僕は父さんの話し相手になんかなれない。兄ちゃん、早くこっちへ戻ってきてよ」
その時兄ちゃんは僕を子供っぽいと思ったに違いなかった。 でも兄ちゃんは優しいから、決してそんな事を言ったりはしなかった。
兄ちゃんは新しいたばこに火をつけ、ただしばらく黙って僕の話に耳を傾けていた。 きっと兄ちゃんが転勤するにあたっての1番の心配事は、僕と父さんの関係だったんだ。
「父さんは、中山デパートで働く僕を恥じてるんだ」
実際僕は、父さんへの不満を全部兄ちゃんに打ち明けた。
父さんが僕の仕事を客寄せパンダだと言った事。 僕の姿がニュースに出た時、恥ずかしくて職場へ行けないと言った事。 どうにかして僕を自分の息がかかった会社へ転職させようとする事。

 こんな時、僕は自分が嫌になる。
久しぶりに会ったのに、どうしてこんな愚痴みたいな事しか言えないんだろう。 こんな話をしたって兄ちゃんを困らせるだけなのに。
こんなふうだと、いつか兄ちゃんに呆れられてしまう。
そしていつか、小雪さんもこんな僕に愛想を尽かしてしまうんじゃないかと本気で不安になる。
兄ちゃんはしばらく黙って話を聞いていたけど、2本目のたばこを灰皿に押し付けて消した後、立ち上がって棚の中から赤い表紙のアルバムを取り出し、その3ページ目を開いて僕に見せてくれた。
そこには、セピア色の写真が3枚貼り付けてあった。 僕はテーブルの上に置かれたアルバムを自分の手元へ引き寄せ、そのレトロな写真に釘付けになった。

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