13.
兄ちゃんの話にはまだまだ続きがあった。兄ちゃんは僕にその話をする間、常にたばこを吸い続けていた。
きっとこの話をする事は兄ちゃんにとってストレス以外の何物でもなかった。
窓の外から差し込む、ちょっと傾きかけた太陽の光。その光の中で、白いたばこの煙が揺れていた。
雲のようなたばこの煙がレトロな写真の上に重なり、僕は時々目の前のセピア色の物が幻なのではないかと錯覚した。
「母さんの隣に写ってる人。その人、父さんの彼女だったんだ」
僕の心臓の音がこれでもかというくらい大きくなり、頭の中が熱くなった。
兄ちゃんは僕が動揺している事に気付いたと思うけれど、それは初めて母さんの顔を見たせいだと勘違いしているようだった。
「父さんは、彼女の親友だった母さんと一度だけ浮気したんだよ」
浮気? 父さんが? あの石頭の父さんが?
「お互い遊びのつもりだったらしいけど、母さんはそれで妊娠したんだ。だから2人は結婚する事になったんだよ」
僕はその時初めて写真から目を逸らし、兄ちゃんの顔を見た。
兄ちゃんはちょっと辛そうな顔をしてたばこをスパスパと吸い続けていた。
「だけど、それを知った彼女はショックを受けて飛び降り自殺をしたらしい。父さんも母さんも、ずっとその事を引きずって生きてきたんだよ」
飛び降り自殺。
兄ちゃんは今、はっきりとそう言った。
ちょっと俯き加減で、たばこの煙を吐き出しながら。
「父さんにとって母さんは最後まで浮気相手でしかなかった。昔母さんがそう言ってたよ。
父さんは時々寝言で彼女の名前を口走ったらしい。父さんは恐らく、ずっと彼女の事を忘れられなかったんだ。
そんなふうだから、2人が離婚したのはしかたがないだろうな。
お前が中山デパートで働く事を父さんが嫌うのは、昔の事を思い出すからだ。でもそれは決してお前のせいじゃないよ」
兄ちゃんが4本目のたばこを灰皿に押し付けた。僕と兄ちゃんの間は、白い煙のカーテンで仕切られていた。
僕はどうしても聞かなければならない。本当は聞くのが怖いけれど、どうしても聞かずにはいられない。
「父さんが忘れられなかった人の名前は、なんていうの?」
兄ちゃんは目線を宙に泳がせて2〜3秒考えた。部屋中の空気が、白く濁っていた。
「ユキコかコユキか、たしかそんな名前だよ」
兄ちゃんは小さくそう言って立ち上がり、部屋の空気を入れ替えるために少しだけ窓を開けた。
さっと斜めに入り込んで来た夕方の太陽の光が僕の目に突き刺さった。
僕は昨夜抱きしめた彼女の温もりを思い出していた。
僕を見つめる彼女の目は、本当は父さんを見つめていたのかもしれない。