14.
10月23日の夜。僕は福岡から家へ戻った。家へ着いたのは、夜の8時頃だったと思う。
茶の間では父さんが1人でソファに座り、いつものようにビールを飲みながらテレビを見ていた。
僕の大事な物はもうその時すでに失われていた。
「優作、お帰り」
父さんの顔はいつも通り赤かった。父さんはドアの前に立つ僕を一瞥して簡単な挨拶の言葉を口にした後、またすぐテレビに目を向けた。
「ははは……」
父さんは、バラエティ番組を見て笑っていた。僕と話す時には決して見せないような楽しそうな笑顔で。
父さんは年をとった。
昔はもっと髪が黒々していて、筋肉質だった。
でも今は髪の半分くらいが白く染まり、目尻に無数の皺が刻まれ、お腹はだらしなく膨らんでいる。
テーブルの上には、ビールの空き瓶が3本。父さんは彼女を忘れるためにいつもこうして酒を飲み続けてきたんだろうか。
「優作、食事は?」
突然父さんの赤い頬が僕の方へと向けられた。
いつもはこんな事言わないくせに、気まぐれに優しくされたって嬉しくなんかないよ。
僕は兄ちゃんから託された九州のお土産を父さんへ渡す事もせず、茶の間を出て階段を駆け上がった。
自分の部屋へ逃げ込むと、電気も点けずすぐ床の上にかばんを投げ出し、畳の上に座り込んで丸いクッションを抱えた。
ずっと幸せな日々を生きていたから、こうするのは本当に久しぶりだった。
クッションに顔を埋めると、僕は子供のように声を上げて泣いた。
クッションカバーがすぐに僕の涙を吸い取って湿っぽくなった。
脳みそを引っかき回されるというのは、この事を言うんだ。
いったい誰を恨めばいいのか見当もつかない。
父さんを失った事で、彼女は死を選んだ。それほど父さんを失った事がショックだったからだ。
死ぬほどショックを受けるくらい父さんの事が好きだったからだ。
それを思う時、僕は父さんに激しく嫉妬した。
彼女は僕が初恋の人に似ていると言った。彼女は僕の中にある父さんの面影を見てそう言ったに違いない。
そして僕の中には父さんを許せないという気持ちも根強く残っていた。
彼女のようなかわいい人を裏切って浮気するなんて。死ぬほど愛してくれる人を裏切るなんて……とても許せる事じゃない。
でも、心のどこかで父さんに感謝している僕がいる。
恐らく、一晩だけの遊びで付き合った両親はどうやったっていずれ別れたに違いない。
もしも彼女が生きていたら、父さんは彼女と再婚する事を考えたかもしれない。
そうしたら、40代になった彼女は僕の母さんになっていたかもしれない。
僕が彼女に恋する事もなかったかもしれない。彼女が僕に恋する事もなかったかもしれない。
彼女は、死んだ時のままの姿で僕の目の前に現れた。若くて、初々しくて、綺麗なままで。
僕はそんな彼女に恋をした。でもそれは束の間の恋だった。彼女の温もりは幻だった。
あんなに綺麗な人が僕の事を好きになってくれるはずなんかない。そんな事、本当は最初から分かっていた。