3.
良ちゃんは無事に大学へ入学した。ママは少し安心したようだ。
彼はそれからすぐに車の免許を取り、今度はママにちゃんと話をしてからバイトを始めた。カメラマンの助手になったんだ。
最初のうち、彼はいつもクタクタになって帰って来てはすぐに眠ってしまった。
どうやら今度のバイトは相当きついらしい。僕はその頃良ちゃんのグチを随分聞かされた。
「助手なんてほとんど使いっ走りさ。重たい機材を運んで、1日中運転させられて、写真なんて全然撮らせてもらえないし」
良ちゃん、なんだかパパに似てきたよ。
「モデルはわがままばかり言うしさ」
彼はそんな事を話す時、いつも僕の顔を見ない。
ベッドに寝転がったままで独り言のようにつぶやくんだ。
それでも彼はちゃんと毎朝バイトに出かけて行った。
朝起きて空色のカーテンを開け、一度大欠伸した後僕におはよう、と言う。
それから一旦部屋を出て顔を洗って戻って来た後、のんびりと出かける用意を始める。
ドライヤーで髪を整え、持ち物をチェックし、それから洋服を着替える。
Tシャツにジーパン。それに紺色のキャップをかぶり、左の肩に黒いカメラバッグを下げる。
そしていつものように行ってくるね、と一言僕に言う。
そして良ちゃんは太陽の光を背負ってこの部屋を出て行った。
僕は知ってる。良ちゃんの腕は上がったよ。
僕の写真だってかっこよく撮ってくれるようになったし。
がんばれ、良ちゃん。
いつかきっと夢は叶う。僕はそう信じてるよ。
バイトを始めて1年がすぎた頃、彼は車を買った。
そして5月のある晴れた日、僕は久しぶりに外へ出かける事になった。
彼が撮影を兼ねてドライブへ行こう、と僕を誘ってくれたんだ。
すごく興奮した。良ちゃんとお出かけするなんて何年ぶりだろう。
彼の車は洗車したてでピカピカに光ってた。真っ白なボディがまぶしい。
「この車、まだ誰も乗せた事ないんだよ」
彼はそう言って僕を助手席へ座らせてくれた。
「お前は親友だから、1番最初に乗せてやりたかったんだ」
ありがとう良ちゃん。僕、すごく幸せだよ。
車は都会を抜け、どんどん山奥へと入って行った。しだいに道が狭くなって車が随分揺れた。
いったいどこへ行くの?
「もう少しで着くからな」
良ちゃんはハンドルを握って前を見たままそう言った。
太陽のような笑顔を見せて、そう言った。
やがて道を走っていて車とすれ違う事もなくなった。
いったいどこへ行くつもりなんだろう。
こんな所は記憶にない。彼は僕が初めて行く場所をめざしている。
わぁ、すごい。
狭い砂利道を突き抜けると、そこは別世界だった。
目の前に綺麗な景色が広がった。黄色い花が一面に咲き乱れてる。
良ちゃんは車を止め、僕を外へ連れ出した。
太陽がまぶしい。空気がとってもおいしい。
僕はもうずっと太陽を見る事がなかった。
良ちゃんの部屋には窓があったけれど、僕の居場所まで太陽の光は届かない。
でも平気だと思ってた。良ちゃんが僕の太陽だったから。
だけど、久しぶりに本物の太陽を浴びるとすごく心が温かくなった。
太陽の光も、青い空も、白い雲も、流れて行く景色すべてが新鮮だった。
写真を見るだけでは感じる事ができない新鮮さだ。
こんな気持ちはもうずっと忘れていた。
空がなんて高いんだろう。良ちゃんの部屋の天井なんか比べ物にならない。
風が気持ちいい。扇風機の風とは全然違ってる。
更に歩いていくと小川が見えてきた。彼はそこでお昼にしようと言った。
「ここへ連れてきたのはお前が初めてなんだ」
僕はそれを聞いて舞い上がった。
本当? 一緒に来たの、僕だけ?
「そこに座って。動かないで」
僕は大きな石の上に座ってポーズをとった。聞こえてくるのは小川のせせらぎとシャッターの音だけだった。
僕はこの日の事を絶対に忘れないでおこうと思った。
絵に描いたような綺麗な景色。一面に広がる黄色い花たち。そして小川のせせらぎとシャッターの音。
良ちゃん、こんなに素敵な所へ連れて来てくれてありがとう。
今日の事、ずっとずっと忘れないよ。
それから2ヵ月後、僕と良ちゃんにとってすごく嬉しい事が起こった。
「なぁ、これ見てみろよ!」
彼がそう言って僕に見せたのは、彼が毎月購読している雑誌だった。
びっくりした。そこに載っていたのはあの日の僕の写真だった。
僕はすました顔で石の上に座っている。僕の後ろには一面に黄色い花が咲き乱れてる。
そしてその向こうには小川が流れている。あの日の小川のせせらぎは僕の耳にまだはっきりと残されていた。
でも、いったいどういう事?
どうしてこの写真が雑誌に載ってるの?
「信じられない。まさか採用されるなんて」
何?良ちゃん、ちゃんと説明して。
「ここ、毎月テーマを決めて写真を募集するページなんだ。今回は"水のある風景"だった」
良ちゃん、そんなのに応募したなんて全然言ってなかったじゃない。
「どうせボツになると思ってたから言わなかったんだよ」
すごいよ良ちゃん! だって、採用されるのたった1枚だけなんでしょう?
「嬉しい。お前のおかげだよ」
良ちゃんは僕をぎゅっと抱きしめてくれた。その時、また太陽の匂いがした。
「ありがとう、ありがとう、熊五郎」
僕の方こそありがとう。良ちゃんの夢を叶えるお手伝いがほんの少しでもできた事、すごくよかったと思ってるよ。
良ちゃんには黙ってたけれど、ママは今でも時々彼の部屋へ入ってくる事があった。
ママはちゃんと心得ていて、良ちゃんが絶対帰って来ない時間を見計らってやってくる。
ママは彼がどんな写真を撮っているのかが気になっているみたいだった。良ちゃんはママやパパに写真を見せていなかったんだ。
その時はいいタイミングでママがやってきた。ママは机の上の雑誌をパラパラとめくった。
そしてすぐに彼の写真が載っている事に気づいた。ママは長い間そのページを見つめていた。
それから雑誌を手にして珍しく僕に話しかけてきた。
「この写真、いつ撮りに行ったの? あの子ったら私には何も話してくれないんだもの」
ごめんねママ。僕から良ちゃんによく言っとくよ。
「良は本気でカメラマンになるつもりなのかしら」
もちろん。
「心配だわ。できれば安定した仕事に就いてほしいの」
そうだね。ママの心配はよく分かるよ。
「良と仲良くしてくれてありがとう。良はあなたの事が大好きなのよ」
僕も、僕も良ちゃんが大好きだよ。
「ここに書いてるの、読んだ?」
何?僕は字が読めないんだ。
ママは良ちゃんが撮った写真が載っているページを指さし、優しい笑顔でこう言った。
「写真と一緒に良の書いたコメントが出てるの。読んでほしい?」
うん、聞きたいよ。お願い、読んで聞かせて。