2.
目が覚めてしまった。
まだ朝の9時を過ぎたばかりだ。
なんて事だ。
今朝店から帰って来たのが確か5時頃だった。まだたったの4時間しか眠っていない。
俺はふとんにもぐってきつく目を閉じた。
だけど、もう二度と寝付く事はできなかった。
しかたなく起き上がる。するといろいろな事が頭に浮かんだ。
クリーニングに出した洋服を取って来なくちゃいけない。
借りっぱなしになっていたビデオも返しに行かなくちゃ。
それに、水道料金も払い忘れてた。
掃除もしないと、なんだか部屋が埃っぽい。
その日は快晴だった。
外へ出ると生暖かい風を頬に感じた。もう夏が近い。
クリーニング屋へ行く途中に、とある私立高校のグラウンドがある。
そこでは現役高校生たちが汗をかきながらサッカーボールを追って走り回っていた。
俺はいつもここで足を止めてしまう。
昔俺にも高校生をやっていた時期があった。
今思えばあの頃が1番いい時だった。最高の時だった。
だけど17歳の時、すべてが変わってしまった。
大事なものは全部指の隙間からこぼれ落ちて消えていった。
あの時自分の生きている今がどれほど貴重な時間かという事に気づいていれば、もっと別な時を生きられたかもしれないのに。
すべては終わってしまった事だ。もう遅すぎる。
視線の先ではゴールを決めた男子生徒が皆に祝福されて誇らしげな笑顔を見せていた。
あれは昔の俺だ。
ほんの少し視線を移すと点を入れられたゴールキーパーがうなだれているのが見えた。
彼の周りには誰1人寄り付こうとはしなかった。
かわいそうに。
昔の俺ならうなだれている彼の事なんかきっと気にもとめなかった。
でも今なら、彼の気持ちが少しだけ分かる。
点を取られたのは別に彼のせいなんかじゃない。
ディフェンスがでくの坊だったのかもしれないし、ただ運が悪かっただけかもしれない。
顔を上げろよ。こんなのたいした事はないさ。
そんなに落ち込むな。君には次がある。次はきっとうまくいくから。
俺は心の中でそんな言葉を彼に贈っていた。
早起きした後遺症だ。俺はその夜店で欠伸ばかりしていた。
時計ばかりが気になる。こんな時に限ってなかなか時間が進まない。
「和也、疲れてるのか?」
10時半になった時、とうとう店長に言われてしまった。
「いや。今日ちょっと早く目が覚めちゃって」
「そうか。今日は店もヒマだし、帰ってもいいぞ」
確かにその日はヒマすぎた。
店長と俺と柴田くんと高橋くん。店に従業員が4人も出ているのに、客はたったの2人だった。
高橋くんは早々と休憩を取り、ロッカーでゲームボーイをしている有り様だ。
忙しければ眠気も吹っ飛んでしまうところだけど、こうヒマじゃ気合が入らない。
俺は、じゃあお言葉に甘えて……と言いかけた。
まさにその瞬間だ。重厚なドアが開き、陽子さんがやってきた。
ため息が出た。
これはとても帰れそうにない。
「和也くん、こんばんは!」
しかも今日の彼女はやたらと元気がよかった。
「ああ、いらっしゃい」
「今日ね、いい事があったんだ!」
「何? どうした?」
俺は欠伸をかみ殺しながら彼女の"いい事"に黙って耳を傾けた。
店長が少し遠くからいい所で切り上げろ、と合図を送ってくれていたけど、俺は大丈夫だという笑顔を返した。
そのうちどんどん客がやってきた。
あっという間に席が埋まり、すさまじい忙しさに襲われた。
陽子さんがいつ帰ったのかさえ分からないほどの忙しさだった。
でも、これでいいという気がした。
ヘタに早く帰ったところで何もする事がない。する事がなければ余計な事を考えてしまう。
昔の、良かった頃の事ばかりを思い出してしまう。
もう戻れない昔に思いを馳せても無駄だという事は自分が1番よく分かっていた。
それでも俺はいつも昔の事を思い出した。あいつの事を思い出した。
あいつは今どうしているだろう。
俺の事をまだ覚えているだろうか。
もうそんな事は考えたくない。どうやったってもうあの頃には決して戻れないんだ。
だから、もう考えたくはない。全部忘れてしまいたい。
クタクタになってアパートへ帰るとすぐにふとんにくるまった。まぶたが重い。
どこかで携帯が鳴っていた。電源を切るのを忘れたんだ。
きっと親父だ。
目を閉じるとすぐに意識が遠くなっていった。
携帯の鳴る音もしだいに遠くなっていった。