夢の続き
 9.

 彼女を監禁して5日が過ぎた。
毎朝乗馬やドライブに誘ってくる父さんの申し出を断わり、あれこれ言い訳して出かけて夕方一度別荘へ戻り、夜再びこっそり抜け出して彼女と共に朝まで過ごす。
そして父さんが起きる前にまた別荘へ戻る。

 俺はそろそろ限界だと思っていた。
彼女もつらかっただろうけど、俺も同じようにつらかった。
精神的にも肉体的にも本当につらかった。
父さんだっていい加減俺の不振な行動に疑問を抱く頃だ。
もう彼女を帰してあげようか……

 6日目の朝、その話を切り出すつもりで彼女に朝食を届けた。
2人並んでコーヒーをすする。もう景色を楽しむ余裕もない。

 俺は遠回しに話を切り出した。
彼女の両親に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
お姉ちゃんが出て行った時、夜遅くまで起きて待っていた母さんの背中を思い出す。
「亜矢ちゃんの家では君がいなくなって大騒ぎしてるだろうな」
彼女はパンをかじりながら平然としてこう言った。
「うちの親は1週間くらい私の姿が見えなくても心配なんかしないよ」
「そんな事ないさ」
「私、中学の時に何回か家出した事があるの。でも親は全然気づかなかった。私は普段からよく友達の所へ泊まり歩いてたから。1週間たって家へ帰っても"あら、お帰り"ってなもんよ」
「家出した時、どこ行ってた?」
「いろいろ。うちが管理してる使ってない別荘とか」
俺は彼女の事を何も知らないんだって思い知った。
彼女のあの強さはどこから来るものなのか。あの優しさはどこから来るものなのか。

 「あきらくん、疲れてるみたいだね」
「亜矢ちゃん、もう止めにしようか」
俺は彼女がうなづく事を望んでいた。
この景色も見納めだ。そんなふうに思って小川を見つめていた時、彼女が意外な事を言い出した。
「本当はお風呂にも入りたいし、ベッドで眠りたい。でも、もう少しあきらくんと一緒にいたいな」
信じてもらえないかもしれないけれど、彼女は本当にそう言ったんだ。
「あきらくん、私を帰したらもう会わないつもりでしょう?」
なんて言ったらいいのか分からなかった。
俺はたしかに事が済んだらさっさと家へ帰り、もう二度とそこへは来ないつもりだった。
「ねぇ、私が家出した時使ってた別荘へ行かない? あそこなら誰にも見つからないし、ベッドで眠れるよ」
「本気なのか……?」
「夜になったら行こうよ」
俺は彼女を家へ帰してあげたいと思っていた。
でも、本音は彼女と一緒にいたかった。もう夢の事なんかはどうでもよくて、ただ一緒にいたいと思っていた。
彼女の方もなんだか家へは帰りたくないようなそぶりだった。
俺が都合のいいように考えていたのかもしれないけど、本当にそんな感じがした。

 先生は先を促すようにこう言った。
「それで君たちはそこへ行ったのかい?」
「俺はそのつもりで一度戻って、また夜中に彼女の元へ向かった。でもその時、父さんに後をつけられたんだよ」
「そうか」
「最悪さ」
「まぁどっちにしろ彼女は家へ戻ったんだね?」
「多分」
「多分?」
「俺が小屋の前まで行って扉を開けようとした時、何故だか鍵は開いていて、そこに彼女の姿はなかったんだ」
先生はメガネをはずした。
それは何かの感情の表れだ。俺には分かる。

 「俺の話はこれで終わり。すべてを知った父さんは俺をぶん殴ってすぐに家へ連れて帰った。 そして今度は俺が親に監禁されるハメになった。もう外へは出さないって言われて……手首の傷は夜ベッドに縛り付けられた跡さ」
「彼女とはそれっきり?」
「俺は彼女の無事を確かめたかった。だから父さんに何度も彼女を探してくれと言ったんだ。でも父さんはもう俺の言う事なんか聞いてくれなかった」
「分かった。君の話はよく分かった。よく話してくれたね。ありがとう」
また「ありがとう」だ。彼女も何度も俺にそう言った。いったいどうしてなんだろう。
俺は感謝されるような事なんか何もしていない。
先生だってこんなウソっぽい話を聞かされて迷惑に決まってるのに。

 「先生、俺の話を信じてくれるの?」
先生はそれには答えず、もう一度メガネをかけ直すとこう言った。
「少し僕の話をしてもいいかな?」
俺はうなづいた。
「僕は小さい頃からカンがよくてね、それで随分気味悪がられたよ。あれは小学校へ上がる少し前の事だった。 母親と一緒に歩いていた時、偶然近所のクリーニング屋のおじさんに会ってね、彼は"大きくなったな"と言って僕の頭をなでてくれた。 でも、僕は怖くて泣いてしまったんだ。おじさんがいなくなった後で僕は母さんに泣きながら訴えた。 "あのおじさんの手、血まみれだった"ってね。 僕は彼に触れられた自分の頭にいっぱい血が付いてるような気がしてた。 でも、母さんは僕に"変な事を言うもんじゃない"と言って叱り付けた。 その時、おじさんの手に付いた血が他の人には見えないんだって事を小さいながらに悟ったよ」
「……」
「それから2〜3日後だったな。クリーニング屋の前にパトカーが止まってて、おじさんがおまわりさんに連れられていった。人殺しで捕まったんだって、後で誰かがそう言ってた」
「……」
「あきらくん、僕はね、君のような人を救いたくて精神科医になったんだよ。君はどこも悪くなんかない。 イカレてなんかいない。自分の大事な人に危険が迫っていたら助けようとするのは人間として当然の事だ。ただちょっとやり方が強引すぎただけだよ。心配ない。君は至って健康だ」

 俺はこうなる事が分かっていたような気がする。
数日前にこの真っ白な部屋で白衣を着た先生と話す自分の夢を見た。
その夢は何故だかとても心地よかった。
自分が何を話すのか、先生が何を話すのか、それは全然分からなかったけれど、あの時はとても安心していられた。今も同じような気分だ。
でも、夢の中の俺は安心しているフリをしていた。それも今と同じだ。

 「それからこれは僕の見解だけど、亜矢ちゃんは今でも君の事が好きだと思うな」
その言葉は先生の優しさだと思った。
だって、俺は6日間も彼女の自由を奪った男だ。
彼女が俺を好きでいてくれるなんて事はありえない。そんなの、気休めだ。
「僕が気休めを言ってると思ってるね」
先生はそう言ってちょっと笑った。
「先生は知らないのさ。彼女がどんな目であいつを見ていたか。彼女はまさきってヤツが好きなんだ」
「確かに、僕は何も知らない。すべて想像でしかない。君は彼女を監禁した、彼女の自由を奪った。そう言ったけど、君と一緒にいた時彼女は極めて自由だったじゃないか」
「……」
「逃げる事だってできたのに、そうしなかった。それは彼女の意思だよ」
真剣に語ってくれる先生の目はとても優しかった。この人は本当にいい人だ。

 「しかし、そのひどい睡眠障害はなんとかしなくちゃいけないな」
「……」
「君は今でも夢を見るのかい?」
「時々」
「そうか。よし、君に処方箋を出そう。これから僕が言う事、誰にも内緒にするって約束できる?」
「うん」
「彼女に手紙を出してみないか? 君は彼女の無事を確かめたいんだろ?」
「彼女に謝りたい」
先生は俺に真っ白な便箋と封筒を手渡した。
「彼女に刺激を与えないように僕の手紙も一緒に送らせてもらうよ。 君は5日後に退院だ。新学期に間に合うようにね。 君は彼女にした事を気に病んで入院していたけれど、すっかりよくなって退院する。 僕からはその事だけを伝えたい。きっと彼女の方も君の事を心配してると思うから」
「きっと彼女は、手紙を読んでくれない」
「もちろん受け取った手紙を読むかどうかは彼女の自由だ。だけどとにかく君は謝りたいんだろ?」
「うん」
「本当はこれ、規則違反なんだ。手紙を出した事がばれたら僕はクビだぞ。二浪もして医大に入ったのに。秘密厳守、よろしく頼むよ」
「どうして? どうしてそこまでしてくれるの?」
「さぁ、どうしてだろうね」

 その時、急にお姉ちゃんの事を思い出した。
お姉ちゃんは俺への別れの手紙を書く時、どんな気持ちだったんだろう。
鉛筆で書かれたあの手紙には何度も何度も書き直した跡があった。
まさか今度は自分が手紙を書く方になるなんて思いもしなかった。
「明日の朝まで時間をあげるから、1人になってゆっくり書くといい。ちゃんとしっかり自分の気持ちを書くんだよ」
「はい……」
「手紙は僕がちゃんとポストに入れておくから、安心して」

 先生はいい人だ。
俺を安心させるための作り話もまぁまぁな出来だった。
でも、先生はどこから俺の話を信じなくなったんだろう。
もしかして、最初からか?
先生は彼女に手紙が届かないと思っている。
彼もまた"亜矢ちゃん"は俺が作り上げた架空の人物だと決め付けている。
父さんも母さんもそうだった。
先生、あなたの言ってる事は当たってる。大人は皆ウソつきだ。

亜矢ちゃんへ
昨日、君の夢を見ました。俺は今とても穏やかな気持ちでいます。
君のその優しさはいったいどこから来るものなんだろう。
君はあんなひどい事をした俺を許してくれるの?
君のその強さはいったいどこから来るものなんだろう。
君はもしかして本物の天使なんだろうか?
俺は今、夢の続きが見たくてたまらない。
君は俺に何を言うつもりだったの?
そして俺は君の言葉になんと言って応えるの?
その答えが知りたくてたまらない。夢の続きが見たくてたまらない。

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